“伊勢の衣縫”の浪漫を想い、綿ごこちを楽しむ。
わが国に「綿」という新しい繊維がもたらされたのは、室町時代といわれる。記録の上では、三河の国で最初に綿が栽培されたとなっている。この三河と海を挟んだ伊勢平野でも、相次いで綿づくりが始まった。
一方、五世紀の後半に大陸から紡織の技術を持った集団が渡来。その一部は吉野川をさかのぼり、伊勢に定住。やがて“伊勢の衣縫い(きぬぬい)”と呼ばれ、中央政府から公認されるほどの大きな職能集団に成長していた。
この伊勢の衣縫たちと、栽培が始まった木綿が出会い、さらにこの地の豪商たちの才覚も加わり、松坂木綿の名は高く後世に残っていくのである。
正徳二年(1712年)刊行の百科辞典「和漢三才図会」の木綿の項には「勢州松坂を上とす、河州、接州これに次ぐ」とランク付けされていることからも、この松坂木綿の質的内容は高かったようである。
この伝統を受け継ぎ、松坂の「もめん」は今も健在。最高級の綿織物として高い評価を受けている。
この松坂もめんを使用した作務衣が、この「松坂木綿作務衣」。伊勢の衣縫たちの浪漫を想い、高級木綿の着心地の良さをたっぷり満喫して頂きたい。
武州正藍染羽織
ちょっとこだわって拒み続けてきた、あの“武州”の羽織がいよいよ発表。
作ろうと思えば、いつでも作れました。実際に、“古き佳き作務衣を現代に甦えらせたい”という目的に沿って、記念すべき「武州正藍染作務衣」が産声を上げた時も同時に試作品としてこの羽織も出来上がっていたのです。
それなのに、当会が今まで、この「武州正藍染羽織」を世に出さなかったのには次のような理由があります。
当会では、この「武州正藍染作務衣」を、その後次々と開発しているすべての作品の原点と考えています。この作務衣だけは、古き佳き伝統、形式や様式を可能な限り“そのまま”にとどめておくべきだと強く思っていたのです。
古き佳き素のままの作務衣として、頑なに羽織まで拒み続けてきたというわけです。
会員の皆様から叱責に近いご要望が!
このこだわりに対して、会員の皆様からは“武州の羽織をなぜ作らないのか!”という叱責に近い声がどっと押し寄せました。確かに、他の作務衣に羽織はあるのだから…という皆様のご要望もまた真理。
そこで、この羽織だけは、作務衣と切り離してご要望にお応えしようということに決定いたしました。
つまり、作務衣に対するこだわりを保つ一方で、皆様のお好みにもお応えするということです。
その意味もあって、武州とはもちろんですが、他の作務衣との組み合わせを、当会としては強くおすすめいたします。
素材、染め、織り…すべて「武州正藍染作務衣」と寸分変わりません。
武州正藍染作務衣
作務衣の本流。藍染の里、武州が誇る自信の一着――
古き良き作務衣を現代に甦らせたい――という目的からスタートした当会が、すべての原点として完成させたのが、この「武州正藍染作務衣」です。
その後に発表されたあらゆる作務衣も、全てこの一着を源としているというわけです。その意味で、作務衣の本流と申せましょう。
入門に最適な一着でありながら、極めた人にも愛される不朽の名作。
武州と言えば藍染の里として有名。
この地が自信を持って世に送り出しただけに、その完成度の高さは定評のあるところ。
“蓼藍”の葉を自然発酵させた染液で糸の段階から十数回も繰り返して染め上げられた特選正藍染め、つむぎ風織り木綿100%の肌ざわりの良さ、藍の深さは、最高級とのお声を頂いています。
当会設立当初からの会員の中には、この“正藍染”一本やりという方も多いようです。
「一年おきに購入してすでに五着持ってますが、平等に着て洗っているとそのすべてに時間の経過による色合い、風合いの異なりが出てきてイイ感じです。洗うほどに変化していく正藍染ならではの味わい、これはたまりません。鮒(フナ)にはじまり鮒に戻ると言いますが、やっぱりこれは作務衣の原点だと思いますね…」
とのお便りを頂くと、作り手冥利に尽きます。
洗いを重ねるごとに渋さと愛着が増してくるのも、いかにも作務衣本来の姿と言えましょう。まさに、不滅の一着です。
作務衣のある暮らし 4
一枚の“心の装い” が新しいあなたを創る!
「たまの休みなど、こいつを着てると仕事や世間のわずらわしさから解放され、心が洗い流されていくみたいですネ」と働き盛りの男性。
「女房の好みですべて欧米風の暮らし。せめてもの自己主張として作務衣を着ている」と39歳の会社員。
「パジャマでゴロ寝の主人にプレゼント。人が変わったようになり、子供たちもン?という感じで父親を見る目が変わってきました」と奥さま…。
作務衣が“心の書斎”と呼ばれる理由は…
…こんな話の中から汲みとっていただきたい。これが、作務衣の精神的な価値観の一例というわけ。
いずれにしても、一枚の作務衣が暮らしの中に入ってくるだけで、いろいろな変化が生まれることは確かであろう。
一度袖を通したら、もう手放せなくなることは必定。
長い歴史が育んだこの“心の装い”で、新しい自分を創ってみるのもよい試みではないだろうか。
そんなあなたのために、「伝統芸術を着る会」では、これからの季節にふさわしい作務衣の数々をご紹介する。
作務衣のある暮らし 3
手作りならではの色合い、風合いを着る!
作務衣の基本は“藍”である。
愛といえば、外国では“ジャパンブルー”とよばれ、まさに日本の色といわれるほど。
本格的な作務衣は“藍染”である。“蓼藍(たであい)”の葉を自然発酵させた染液で、糸の段階から数十回も繰り返して染め上げられる色合いは、まさに自然の生命と人間の技が混然と溶けあったわが国の誇る伝統芸術である。
吟味し尽くされた綿をつむいで作られた綿糸。この“かせ糸”を藍に染める。丹精込めた染めが終わると、清水での入念な洗い。そして乾燥。この染め上げた糸を、手織りに近いゆったりとした工程の織り機でつむぎ風に仕上げていく。
手間ひまかけた手づくり作務衣は、素朴な野趣と爽やかな清涼感で着る人の肌にさり気なくなじんでいく。藍を愛し、糸を慈しんだ職人たちの息づかいが聞こえるような作務衣。これに袖を通すだけで、何ともいえぬ世界が広がってくるだろう。
洗えば洗うほどに藍染めの渋さが深まってくる。着れば着るほど肌になじんでくる――同じ着るなら、こんなホンモノ、本格作務衣にするべきである。
→「作務衣のある暮らし 4」へ続く…
作務衣のある暮らし 2
形式や様式にこだわる本格派志向が主流!
長い歴史の中で着継がれてきたこの作務衣、現在では仏門以外でも広く着られるようになり、素材、形、色もさまざまである。
つまり、時代と共にこの伝統的な作務衣も少しずつその様子を変えてくるというわけである。
しかし、その伝統性や作務衣の持つ独特の精神性に価値観を認めるなら、やはり本格的なものを着て楽しみたいもの。
形式や様式にこだわるのは、伝統的なものを楽しむためには欠かせない要素。
たとえば、藍染作務衣に普通のスニーカーというよりも、藍染には下駄が似合う。衿の白さがまぶしく藍に映える、生成りの肌着をつけたい。お出掛けには作務衣用の羽織をまとうだけでぐんと雰囲気が出る――そんなものである。
動きやすく、ゆったりと…ウエアとしての機能性も抜群!
作務衣のウェアとしての特色をいう時、とかくその精神性の方に目がいきがちだが、やはり機能性を忘れることはできない。
どんな激しい動作にも無理なくゆったりと対応でき動きやすい。つまり、着ていてラクということ。
内ヒモと外ヒモで形くずれを防ぎ、小物を入れるポケットも上下にそれぞれ付いている。すそもゆったりと、全体に少しダブつき気味に着ると、作務衣独特のシルエットが生まれる。丈夫さについては説明の必要もあるまい。
基本的には綿100パーセント。ごわっとした、素朴な肌ざわりが実にここちよい。素材的には、絹素材の高級品も開発されているので用途に応じて使いわけることもできる。
→「作務衣のある暮らし 3」に続く…
作務衣のある暮らし 1
仕事や世間のわずらわしさを丸ごと呑み込んでしまう…
“心の書斎”ともいうべき感覚が人気の秘密!
作務衣を着た人を見てどう感じるか?と質問すると、実にさまざまな答えが返ってくる。
「着ごこちが楽そうだ」と機能性をいう人。「なかなか渋い。趣味が良い」とその伝統性を見る人もいる。さらに、「人間性に奥行きを感じる」とか「意識が高そうに見える」などと、その装いを通して人格的なものまで評価するケースが多い。
作務衣が静かなブームを続けているというが、まさに、これらの答えがそのまま作務衣の人気を物語っているようだ。
一枚の作務衣に託す自己表現と精神的な開放――なかなかの着眼である。
作務衣に受け継がれる先人たちの知恵
作務衣とは、古来より僧侶たちが、作務(心の雑念をなくすための労働一般を言い、大切な修行のひとつとされている)を行う為に着用したものである。
四季を通じて厳しい労働をするという前提で考えられたものだけに、その着やすさや動きやすさ、丈夫さは別格。
はるか遠い昔にこれだけの機能性・合理性を生んだ先人の知恵には、少なからず感服させられる。
→「作務衣のある暮らし 2」に続く…