西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(5)

漬け込み2時間、媒染を1時間。これを4回繰り返す。
漬け込みを終えた糸を次のカメに移す。ねずみ色かかった黒い液。
「これが媒染液、鉄分を混入しています。この液に漬けておくと鉄分の働きで、染付けが良くなるんです。つまり、色がくっつきやすくなるんです。ここで染付けの堅牢度を高くしておかないと、色が濃くならない上に、洗うと色落ちの問題も出てきますから…」と啓介さん。一回に約1時間、この媒染液に漬け込む。
引き上げると、これが茶染め?と思うほど黒い。これでちょうどいいという。煮出し液への漬け込みが約2時間、媒染が1時間――この染め工程を4回も繰り返す。合計12時間も漬け込むというわけだ。
タテ糸ならこれでいいが、濃いヨコ糸は、この工程をさらに3日間も続ける。約36時間というから、確かに茶染めは難儀やなぁ…という感じだ。
染め上がった糸は、脱水機にかけ、天日干しにする。脱水した時点で少し薄くなったが、それでもかなりグレーっぽい。素人サイドから見たらやっぱり不安だ。
「大丈夫だって…洗い落とした時点の計算は十分にしてあるんだから」と啓介さんはニヤニヤ。この糸を洗うんですか?と聞くと、このまま織り機にかけるという。もういい、仕上がりをじっくり見させてもらおう。

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(4)

2時間漬け込んでも、まだ白っぽい。茶染めは辛抱だ。
この煮出したお茶の染液に糸を漬ける。お茶は藍に比べて染まりにくいので、漬け込んだままにしておく。
「藍染めなら、漬けて引き上げるだけでかなりの色が付くけど、お茶は大変ですよ、一回で約2時間ほど漬け込んでおきます。もちろん、これを何回も繰り返すんですけどね。茶染めは辛抱ですよ」と啓介さん。
「難儀なこっちゃなぁ…」と涼しい顔の七代目。憎まれ口をたたきながらも満足気である。
「引っ張り上げてみましょうか。この程度しかまだ染まってないんですよ」と啓介さんは、2時間漬け込んだ糸を引き上げてくれた。薄い茶が、啓介さんが絞ると白っぽくなってしまう。なるほど、これは大変だ。
「そう、だから茶染めには藍染めとは違った工夫がいるんです。藍染めが空気酸化という特殊性を持っているのに対抗して、自然の力が借りられない茶染めは、染め付けを良くするための媒介物を使うのです。これを“媒染(ばいせん)”と言います」

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(3)

藍染めと違って染まりにくいから、鉄分の力を借りて色付けを高める。
まず染料のお茶である。
「いろいろ試してみたけど、粉茶が一番染まりやすいですね。もちろん飲めますよ。これに茎なども入った“けば茶”を混ぜます。これを一着1キロの割合で袋に入れて、煮出します」と啓介さん。
話しながら、手は素早く動いている。お茶1キロと簡単に言うが、これはかなりの量。過程にある100グラム入りの茶筒十本分を想像していただきたい。それだけの量でやっと作務衣一着分なのである。
このお茶を煮えたぎった鉄の釜に入れぐつぐつと煮る。時折かきまぜながら、徹底的に色を煮出してしまうのである。
十分に色が出たら、鎖と滑車を使って使用済みの茶葉を取り出す。水分を含んだ茶葉は重い。この鎖と滑車の仕掛けは、七代目のアイディアだという。力技なら十八番の啓介さんも、これには助かったと感謝。七代目の面目躍如である。

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(2)

「話を聞いた時は大丈夫かいな…と思ったけど、試作を見たらこれがなかなかのモンでね」と七代目。
よし、完成!というレベルに達したのが今年の二月。商品化のためにはどうしても必要なお茶の仕入れを急ぎ手配しなくてはならない。
「何しろ一枚の作務衣を染めるのに、1キログラムの茶葉がいるんですよ。だから、商品化にはトン単位の手配が必要。それも新茶摘みの前に…」
いくら茶処静岡といっても、トン単位の手配は難しい。この難題解決への救いの手は、啓介さんの母上、七代目の奥さんから差し伸べられた、県内でも有数の茶処掛川出身の奥さんのつてで、掛川の名門老舗茶問屋が快く話に乗ってくれたという。
事を成すのは天の利、地の利、時の利が必要だという。機は熟せりという感じで、啓介さんは突っ走った。
「おやじの刺子作務衣の評判を聞いて、最初に着てもらうのはお宅の会員の皆さんしかないと思ってました。だから、事後承諾になっても…とどんどん作っていますよ」とニッコリ。自信満々の笑顔に、こちらは押されっぱなしである。
小柄で飄々とした七代目に比べ、学生時代に柔道(二段)で鍛えた90キロの体躯は威風堂々。合理的で柔軟な発想の七代目に対して、頑固で思い込んだら一途の啓介さんと、何から何まで対称的な二人である。
「父と息子が入れ替わったみたいだね。でも、作品にこだわりを持っている点はワシも評価するよ。ま、その分苦労も多いだろうけどね…」と七代目。茶染めの分野では、完全に啓介さんに一目おいているようだ。
さて、このあたりで茶染めの工程を実際に拝見させていただこう。待ってましたと啓介さん、すっくと立ち上がる。五体から自信と喜びが満ち溢れている。頼もしい限りだ。

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(1)

「倅が“お茶染め”をはじめたときにはおいおい!という感じだったんだけんど、これがなかなかのモンでネ…ウン」
…と、何やら声のトーンが高い七代目。辻村染織七代目、辻村辰利さんである。電話によると、七代目の息子さんが“茶染め”の作務衣を完成させたとのこと。
「一度見に来てくれませんかね。がっかりはさせませんから…」
いつも淡々とした七代目にしては熱がこもっている。西ケ崎に新しい風――何やら手ごたえ十分の予感が走る。
「藍染じゃあおやじにかなわないと思って…」
おっとり刀で駆けつけた遠州浜松は西ケ崎。七代目のかたわらで大きな身体を折り曲げて迎えてくれたのが、今回の主役、辻村啓介さん。七代目のご長男である。
「よう来て下さった。ま、茶でも一服」と通された部屋。初夏のここちよい風が吹き抜け、熱い茶がうまい。挨拶と紹介が終わって話は本題に。ところで茶染めが完成したとか?
「それそれ、倅がね。いやあ、何年か前からこっそりと何かやってるとは思ってたんだが…とうとうやったみたいなんだよ。これならお宅に話をしてもいいと思ってね」と七代目。かたわらの啓介さんを見ながら目を細めている。
「藍染じゃあおやじにかなわないから、何か新しいものをと思って一人で研究してました」と啓介さん、まだ30歳の若さだが、七代目の下で藍染め修行12年のキャリアがある。
七代目に言わせると“超ガンコ者でこだわりを持つ性格”だとか。何かはじめると一途にのめり込んでいくという。茶染めも同様、学ぶものがないためすべて白紙から独自に道を切り開いてきたとのこと。
「まず、いろんなお茶で染めることからスタートしました。染料植物である藍と違って、お茶は染まりにくいんですよ。それに、原料のお茶が多量に必要で…」
三年ほどの苦労の末、ある程度のレベルに達した啓介さん。そこで、初めて静岡県工業技術センターを訪ねる。
「トン単位のお茶の手配には、正直、頭を痛めていました」
そこへ乗り込んだ啓介さん。話を聞いて同センターも諸手を上げて歓迎。これまでの研究資料を全て公開してくれた上、協力を約束。
ここまでくると啓介さんも後にはひけない。七代目にも決意を表明。西ケ崎・辻村を挙げての挑戦となった。

本藍染 刺子織作務衣 夢想(ほんあいぞめさしこおりさむえ むそう)

文字通り、刺子の野性味と素朴さ、端正さを作務衣に取り入れた一着。
素材は木綿地に綿糸。染めは日本古来の発酵建本藍染、織りは交織技法による刺子織り――柄、意匠すべて七代目辻村辰利氏の作によるものです。
手応えのある存在感、それでいてごわごわしない仕上げ。着用感は抜群です。
遠目には無地、無柄と見せ、その実は上下ともすべて刺し模様。白糸による柄を付けず、静かな落ちつきと品格を主眼にした一着。
かたち無きを見る――これぞ夢想の極意か。

四十余年の経験と柔軟な感覚が生み出した刺子織の作務衣――燗熟、七代目の技(3)

「今の世じゃ、刺子は防寒でも野良着でもない。だから薄く品よく…」
「手差しじゃ大変でしょ。一着数十万円になってしまう。だから織る。しかし、刺子も野良着から出世したもんだね」
この感覚がなんとも新しい。伝統的な技法や情緒は百も承知の上で、新しい広がりを求めるこの余裕。敢えて“燗熟”と言わせてもらおう。
一見無地に見える刺子織が好きだという。しかし、人には好みがあるから…と白糸を差した柄をさらに肩や衿に加えた作務衣をつくる。3パターンもあれば好みで選べるだろう――という心くばり。決して一人よがりに陥らない。
刺子織でありながらゴワゴワしない。「薄く品よく仕上げる。だって今の世じゃ、刺子は防寒でも野良着でもないんだから…」。このバランスこそ、“技”と呼ぶにふさわしい。
こんな七代目の手になる新作「刺子織作務衣」がいよいよ登場。作務衣の世界にまた新しい輝きが加わるというわけだ。
「一枚でも着てもらえれば、私は嬉しいね」。見送りながらボソッとつぶやく。えっ?と見返すと、目を伏せる。七代目――いい人に会えた。
七代目 辻村辰利
この道、四十一年。代を継いで二十年、現在61歳である。飽きず力まず染めと織りの世界に遊ぶ――という生き方が、独特の味を出している。
カメから引き上げられた白い糸は緑色。空気にふれると徐々に藍の色に変化していく。これが空気酸化。十数回繰り返して色の具合を仕上げていく。

四十余年の経験と柔軟な感覚が生み出した刺子織の作務衣――燗熟、七代目の技(2)

「藍は子供みたいなもの。毎晩様子を見守ってやらないとダメになる」
染め場に立つ。薄くから濃くまで度合いに応じて8つのカメが並んでいる。よく見る丸いカメではない。七代目のアイデアによる四角い大きなカメである。「藍が沢山入るしね…」とニヤリ。いわゆる凝り固まった職人気質ではない。
染めてみるか…とカメの前に立つ。柔和な顔がキッと締まる。かきまぜるとカメの中は黄土色。白い糸を漬けて引き上げる。緑色になっている。キュッキュッと絞る度に藍色に変化していく。これが空気酸化という現象。自然の植物の葉から生じ、大気により彩りをつける――まさに藍染の醍醐味の瞬間である。
「藍は生き物。目を離すことなく見守ってやらにゃならん」
毎晩、カメを見回る。だから、七代目のカメには火を起こす穴が付いている。染め場の壁や屋根はススが層になっている。柔軟で合理的な七代目のやり方も、すべて藍に対する愛情から出ている。
まさに“藍情物語”ですね…と軽口を叩くと、七代目は照れた。