たっぷりと絹を使う、刺子織りならではの質感!
絹の糸を樹木染めで先染め。タテ糸とヨコ糸に濃淡をつけて刺し子織で織り上げます。糸の濃淡が交わった存在感のある風合いはなかなかのものです。
また、余計なことかもしれませんが、刺子で織ると糸の量が増えます。
今回の場合ですと、それだけ絹の使用量が増えるということ。そのことによって絹はその優雅な輝きだけでなく、質感の豊かさももたらしてくれるのです。
喜びも哀しみも、想いを連ねそのすべてを内に包み込んだ“きぬざしこ”。このように、言葉の響きやイメージからアプローチする作務衣づくりはこれからも続けていきたいと考えています。
なぜなら、そのイメージを表現するためには、さまざまな技法を駆使したり、大胆な組み合わせを考えたりする必要があり、そのことが作務衣づくりのレベルを高めることに結びつくと思うからです。
いろいろな意味を込めて、新しい作務衣づくりの第一弾として「絹刺子作務衣」を野袴と合わせてご呈示させていただきます。
絹刺子織作務衣 茶刺子開発話
想いを連ねたら…こうなりました。秋の新作は、まさに珠玉の終結です。
恒例のスタッフ会議。テーマは、秋の新作をいかにするか――いつものことですが、春の盛りに秋の作務衣をどうするか想いをめぐらせるのです、アイディアに詰まったら、言葉の連想ゲームが始まります。
秋天、初紅葉、落穂、菊人形、熟柿、桐一葉…など、あたかも俳句歳時記を読んでいるように言葉が飛び交います。その時、ある女性スタッフが発した言葉に、席がシーンと静まり返りました。
澄んだ声で発した言葉、それが「きぬざしこ」でした。
何という響きの良さでしょう。耳から聞いた絹刺子ではなく、“きぬざしこ”でした。
スタッフ全員がこのようにひとつの言葉の響きに吸いつけられたケースは前代未聞。そして各人の頭の中で、その言葉のイメージはどんどん広がっていきました。
清冽なほどの気高さ、そのくせ、どこか素朴な…
広がったイメージを集約すると、“風が運んだ玉の音、月に照らされる輝き…”。その気高さ、端正さは清冽。そのくせ、どこか素朴で土の香りさえするようなイメージはとても奥深いものがあります。
秋の新作テーマは異存なし、満場一致でこの“きぬざしこ”に決定しました。
文字通り、絹の刺子です。優雅さの象徴ともいえる“絹”と、貧しさ故の工夫から生まれた“刺子”の技法が四つに組む訳で、この組み合わせもさまざまな思いが連なって何ともいえぬ趣があります。
素材は正絹100%の刺し子織。その架け橋となる染めは樹木染めを採用します。
万葉百彩シリーズのひとつとして開発した樹木染めは、その自然感覚も時流に合って、今や人気の高い染め技法。しかも、ここにきて染めに濃淡が出せるようになったこともあり、今回の色染めの役割を負うことになりました。
刺子織献上柄羽織(さしこおりけんじょうがらはおり)
渾身の一着。
「少し派手になり過ぎるのでは?」との不安は見た途端に吹き飛びました。
七代目からの「総献上柄の羽織をつくる!」という自信満々の提案。
腰が引けながらも首をタテに振った結果が、この出来栄え。
派手どころか、実に気高く、落ち着いた風格で決まっています。どんな作務衣にもぴたり。
あらためて、七代目のセンスの良さには脱帽です。
刺子織羽織(さしこおりはおり)
先般、刺子織作務衣を発表しました折、多数の会員の皆様から「何故羽織がないのか!」という叱責を頂戴いたしました。
もちろん、当会としても羽織の品揃えは当初から頭にあったのですが、本体の作務衣が予想をはるかに上回る評判。加えて七代目の丹念な仕事ぶりも合わせて、つい機を逸してしまったという次第です。
これではならじとフル回転で品揃え。刺子織羽織の登場となりました。写真のような仕上がり、いかがでしょうか。確かに皆様からのご指摘のように、羽織を一枚合わせるだけでグンと格調が増し作務衣本体がいっそう引き立ちます。
素材、織り、色、すべて作務衣と同じ。ただ「丁字雲」「唐法師」に付けていました柄は、羽織の特性、袖なしの陣羽羽織型を考えて無しとしました。
裏地はごらんのように藍と対をなすことで気品が増す明るい“ねずみ色”。霜ふり風に模様をつけ動きを出してみました。もちろん、表はすべて刺し模様です。
京都刺子織作務衣 蓬(きょうとさしこおりさむえ よもぎ)
秋号にて初めてご紹介した「柿渋」が大変な話題となった“京都”の作務衣。さて、この春号にはどんな作品が送られてくるか、私どもも首を長くして待っていました。
蓬(よもぎ)――でした。奇をてらうことなく堂々と季節の彩りでした。素材は綿に麻混。京都の盆地に吹き込む春から初夏にかけての風が感じられる彩りと素材、さすがです。
最初は少し奇異に見えた“はかま”感覚で着る、いわゆる京都式の仕立ても大好評。もちろん、上着を出せば、他と変わらぬ作務衣すがたが得られます。
京都作務衣の特色は、都会派ともいうべき小粋さや新和風と呼ぶにふさわしい機能性の数々。あでやかで新しもの好きだったといわれる平安京――千二百年を迎える現在でも、その伝統は脈々と生きているようです。
京都刺子織作務衣 柿渋(きょうとさしこおりさむえ かきしぶ)
京都・西陣からやってきた新感覚の作務衣。二通りの着方も新鮮。
さまざまな本格的作務衣を開発し、普及活動を続けている当会には、全国か種々の情報が寄せられます。特に、最近はいわゆる業界からのそれが多くなってきました。
「こんな作務衣はいかがでしょう?」という類のお問い合わせも度々ありますが、いまひとつ私どもの胸をときめかすような作品にはめぐり合うことができずに過ぎてまいりました。
そんな折、京都は西陣。百年以上も続いている老舗から――。
「お宅さまの会員の方に、ぜひこの作務衣をご紹介いただければ…」という丁寧な挨拶と共に、一着の作務衣が呈示されました。
青柿からしぼった染液、まさに草木染めの極致!
スタッフの間から思わずため息が漏れました。質感も鮮やかな刺子織。西ケ崎七代目の刺子織が“素朴”なら、京都はまさに“都会派”といえましょう。そして、この作務衣の大きな特色は、その染めにあります。
名前にもなっている柿渋染め。これは、青柿をつぶし、しぼり採った汁を酵母の培養樽に入れて発酵させます。この原液を二年ほど寝かせた柿渋汁は深く熟した色を帯び、天然の色を醸し出します。この液に何回となくつけて染め上げた糸で織った布地は、自然との調和の中で、時と共に深い味わいのある彩りに変化してゆきます。まさに草木染めの極致といえましょう。
洗練されたエスプリが満喫できるニュー作務衣
もうひとつの特徴。それは、写真でお分かりのように、二通りの着方ができる機能性にあります。
上着を着流せば、いわゆる作務衣姿。さらに、はかま感覚のヒモ構造になっているので写真のように活動的で現代的なシルエットも得られます。裾のヒモも好みで締めたり開いたり。とにかく、新和風と呼ぶにふさわしいニュー作務衣。徳利のセーターやハイネックのTシャツなどとあわせてご着用になれば、洗練されたエスプリが満喫できます。
できる限り当会のオリジナル性を大切にしてきましたが、この京都・西陣からやってきた作務衣には、正直なところ脱帽。その色合いといい風合いといい、そのクオリティの高さには関心させられました。
古き佳き作務衣が、今まさに新感覚と共に時代の壁をひとつ乗り越えた――と感じるのは私どもだけでしょうか。
大人気の「柿渋」をはじめとして、好みに応じて「銀鼠(ぎんねず)」「藍(あい)」の3色をご用意しております。
布を刺す。刺子織りの話。(3)
色刺しや伊達刺しも現れ、その服飾美に大きな注目が――
明治に入ると木綿の着用が認められ、刺し糸が白い綿糸に変り、模様がさらに鮮やかに映えるようになります。
この頃から、刺子は実用性より服飾美が注目されるようになったのです。そして鉄道の普及が、刺子の役割に終わりを告げました。
しかし、この北国に芽生えた刺子の素朴さや美しさや滅びることなく現代まで伝えられてきました。
それは単なる模様ではなく、それに込められた“生きる歓び”や刺し続ける乙女たちの心の輝きが万人の胸を打つからに他ならないからでしょう。
この刺し手法は北国以外でも古くから見られます。例えば、江戸中期に「鳶、人足、火消しは必ず刺す」と決めがあったとか。
火消し装束などは、いわゆる半纏刺しとしてあまりにも有名。色刺しや伊達刺しの傾向もすでに現れています。
合理的な刺子織の開発と進歩で、その情緒を楽しむ。
衣服の材料が溢れんばかりに豊富な現代。皮肉にも、切ない想いから生まれた刺子模様が大変に注目を集めています。実用性を重視した武道着はともかく、ファッションとして幅広く取り入れられているようです。
合理性の面から、一針ずつの刺し手法ではなく、いわゆる刺子織りの技術も開発されました。
その良否はともかく、現在では手軽にこの刺子の風情が楽しめるようになったのです。
貧しさを見事な知恵で着る歓びに変えた先人たちの心を、受け止めてみたいものです。
布を刺す。刺子織りの話。(1)
雪深い北国に咲いた白い花――素朴にして端正な“刺子模様”
炉端に座った母と娘が黙々と針を使っています。鉄びんがチンチンと鳴り湯気がゆらゆらと立ちのぼっています。雪はしんしん、外は一面の銀世界。時間が静かに流れてゆき、母親の手元では、藍地に白い花が咲こうとしています…。
こんな光景が時を越えて目に浮かんできます。今回は、雪深い北国から生まれた、質素で素朴でありながら端正な輝きを見る人に与えてくれる“刺子(さしこ)”という技法についてお話しましょう。
刺子とは、簡単に言えば布地に補強、保温、装飾を加えるために刺し縫いをすることです。
衣服に刺しを施す手法は全国各地で見られるもので、その発祥は定かではありません。
しかし、最も古いとされ有名なのは、藍染の麻地に巧みな刺し模様を配し、他の地方では見られない独自の服飾美を築き上げた<津軽こぎん>が上げられます。
万葉百彩 藍茶葉交織作務衣(まんようひゃくさい あいちゃばこうしょくさむえ)
茶葉染めの糸を組み合わせてみたら…仕掛け人は七代目。遊びごころが見事な作品を生んだ。さすがに目が利く。
息子さんの茶葉染め開発をじっと見守り続けてきた七代目。聞かれること以外は余計な口出しは一切さけてきたという。
だが、職人としての心はムズムズと騒いでいたようだ。ましてや、息子さんの茶葉染めが目を見張るような出来栄えときては、もうたまらない…。
茶で染めた糸を拝借。これをタテ糸に、得意の藍染糸をヨコ糸に使い交織。これまでの藍染では出せなかった作務衣が実に新鮮。藍染めファンには見逃せぬ一着に仕上がった。さすがに四十年以上のキャリアは伊達ではない。
ネップ加工も施された奥深く、何かを語りかけるような藍の色合い――幻の作務衣にしたくないとの申し出に、「じゃ、1ヤード分だけなら…」と七代目。やっと150着のOKを得た。ただし、価格は息子さんのそれを越えないで欲しいとの条件がついた。
万葉百彩 茶葉染作務衣 掛川羽織(まんようひゃくさい ちゃばぞめさむえ かけがわはおり)
どんな作務衣にも合わせやすい――との声しきり。
羽織を合わせた“姿”の良さは、もう言わずもがな。「またお茶っ葉が要るなぁ…」と辻村啓介さん。ぼやきながらも、ハナから羽織は作るつもり。
羽織一枚で作務衣自体の格調が上がることは百も承知。同じ着るなら、作るなら…。
もう、羽織は高級作務衣の定番組み合わせになったようです。