西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(4)

2時間漬け込んでも、まだ白っぽい。茶染めは辛抱だ。
この煮出したお茶の染液に糸を漬ける。お茶は藍に比べて染まりにくいので、漬け込んだままにしておく。
「藍染めなら、漬けて引き上げるだけでかなりの色が付くけど、お茶は大変ですよ、一回で約2時間ほど漬け込んでおきます。もちろん、これを何回も繰り返すんですけどね。茶染めは辛抱ですよ」と啓介さん。
「難儀なこっちゃなぁ…」と涼しい顔の七代目。憎まれ口をたたきながらも満足気である。
「引っ張り上げてみましょうか。この程度しかまだ染まってないんですよ」と啓介さんは、2時間漬け込んだ糸を引き上げてくれた。薄い茶が、啓介さんが絞ると白っぽくなってしまう。なるほど、これは大変だ。
「そう、だから茶染めには藍染めとは違った工夫がいるんです。藍染めが空気酸化という特殊性を持っているのに対抗して、自然の力が借りられない茶染めは、染め付けを良くするための媒介物を使うのです。これを“媒染(ばいせん)”と言います」

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(3)

藍染めと違って染まりにくいから、鉄分の力を借りて色付けを高める。
まず染料のお茶である。
「いろいろ試してみたけど、粉茶が一番染まりやすいですね。もちろん飲めますよ。これに茎なども入った“けば茶”を混ぜます。これを一着1キロの割合で袋に入れて、煮出します」と啓介さん。
話しながら、手は素早く動いている。お茶1キロと簡単に言うが、これはかなりの量。過程にある100グラム入りの茶筒十本分を想像していただきたい。それだけの量でやっと作務衣一着分なのである。
このお茶を煮えたぎった鉄の釜に入れぐつぐつと煮る。時折かきまぜながら、徹底的に色を煮出してしまうのである。
十分に色が出たら、鎖と滑車を使って使用済みの茶葉を取り出す。水分を含んだ茶葉は重い。この鎖と滑車の仕掛けは、七代目のアイディアだという。力技なら十八番の啓介さんも、これには助かったと感謝。七代目の面目躍如である。

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(2)

「話を聞いた時は大丈夫かいな…と思ったけど、試作を見たらこれがなかなかのモンでね」と七代目。
よし、完成!というレベルに達したのが今年の二月。商品化のためにはどうしても必要なお茶の仕入れを急ぎ手配しなくてはならない。
「何しろ一枚の作務衣を染めるのに、1キログラムの茶葉がいるんですよ。だから、商品化にはトン単位の手配が必要。それも新茶摘みの前に…」
いくら茶処静岡といっても、トン単位の手配は難しい。この難題解決への救いの手は、啓介さんの母上、七代目の奥さんから差し伸べられた、県内でも有数の茶処掛川出身の奥さんのつてで、掛川の名門老舗茶問屋が快く話に乗ってくれたという。
事を成すのは天の利、地の利、時の利が必要だという。機は熟せりという感じで、啓介さんは突っ走った。
「おやじの刺子作務衣の評判を聞いて、最初に着てもらうのはお宅の会員の皆さんしかないと思ってました。だから、事後承諾になっても…とどんどん作っていますよ」とニッコリ。自信満々の笑顔に、こちらは押されっぱなしである。
小柄で飄々とした七代目に比べ、学生時代に柔道(二段)で鍛えた90キロの体躯は威風堂々。合理的で柔軟な発想の七代目に対して、頑固で思い込んだら一途の啓介さんと、何から何まで対称的な二人である。
「父と息子が入れ替わったみたいだね。でも、作品にこだわりを持っている点はワシも評価するよ。ま、その分苦労も多いだろうけどね…」と七代目。茶染めの分野では、完全に啓介さんに一目おいているようだ。
さて、このあたりで茶染めの工程を実際に拝見させていただこう。待ってましたと啓介さん、すっくと立ち上がる。五体から自信と喜びが満ち溢れている。頼もしい限りだ。

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(1)

「倅が“お茶染め”をはじめたときにはおいおい!という感じだったんだけんど、これがなかなかのモンでネ…ウン」
…と、何やら声のトーンが高い七代目。辻村染織七代目、辻村辰利さんである。電話によると、七代目の息子さんが“茶染め”の作務衣を完成させたとのこと。
「一度見に来てくれませんかね。がっかりはさせませんから…」
いつも淡々とした七代目にしては熱がこもっている。西ケ崎に新しい風――何やら手ごたえ十分の予感が走る。
「藍染じゃあおやじにかなわないと思って…」
おっとり刀で駆けつけた遠州浜松は西ケ崎。七代目のかたわらで大きな身体を折り曲げて迎えてくれたのが、今回の主役、辻村啓介さん。七代目のご長男である。
「よう来て下さった。ま、茶でも一服」と通された部屋。初夏のここちよい風が吹き抜け、熱い茶がうまい。挨拶と紹介が終わって話は本題に。ところで茶染めが完成したとか?
「それそれ、倅がね。いやあ、何年か前からこっそりと何かやってるとは思ってたんだが…とうとうやったみたいなんだよ。これならお宅に話をしてもいいと思ってね」と七代目。かたわらの啓介さんを見ながら目を細めている。
「藍染じゃあおやじにかなわないから、何か新しいものをと思って一人で研究してました」と啓介さん、まだ30歳の若さだが、七代目の下で藍染め修行12年のキャリアがある。
七代目に言わせると“超ガンコ者でこだわりを持つ性格”だとか。何かはじめると一途にのめり込んでいくという。茶染めも同様、学ぶものがないためすべて白紙から独自に道を切り開いてきたとのこと。
「まず、いろんなお茶で染めることからスタートしました。染料植物である藍と違って、お茶は染まりにくいんですよ。それに、原料のお茶が多量に必要で…」
三年ほどの苦労の末、ある程度のレベルに達した啓介さん。そこで、初めて静岡県工業技術センターを訪ねる。
「トン単位のお茶の手配には、正直、頭を痛めていました」
そこへ乗り込んだ啓介さん。話を聞いて同センターも諸手を上げて歓迎。これまでの研究資料を全て公開してくれた上、協力を約束。
ここまでくると啓介さんも後にはひけない。七代目にも決意を表明。西ケ崎・辻村を挙げての挑戦となった。

四十余年の経験と柔軟な感覚が生み出した刺子織の作務衣――燗熟、七代目の技(3)

「今の世じゃ、刺子は防寒でも野良着でもない。だから薄く品よく…」
「手差しじゃ大変でしょ。一着数十万円になってしまう。だから織る。しかし、刺子も野良着から出世したもんだね」
この感覚がなんとも新しい。伝統的な技法や情緒は百も承知の上で、新しい広がりを求めるこの余裕。敢えて“燗熟”と言わせてもらおう。
一見無地に見える刺子織が好きだという。しかし、人には好みがあるから…と白糸を差した柄をさらに肩や衿に加えた作務衣をつくる。3パターンもあれば好みで選べるだろう――という心くばり。決して一人よがりに陥らない。
刺子織でありながらゴワゴワしない。「薄く品よく仕上げる。だって今の世じゃ、刺子は防寒でも野良着でもないんだから…」。このバランスこそ、“技”と呼ぶにふさわしい。
こんな七代目の手になる新作「刺子織作務衣」がいよいよ登場。作務衣の世界にまた新しい輝きが加わるというわけだ。
「一枚でも着てもらえれば、私は嬉しいね」。見送りながらボソッとつぶやく。えっ?と見返すと、目を伏せる。七代目――いい人に会えた。
七代目 辻村辰利
この道、四十一年。代を継いで二十年、現在61歳である。飽きず力まず染めと織りの世界に遊ぶ――という生き方が、独特の味を出している。
カメから引き上げられた白い糸は緑色。空気にふれると徐々に藍の色に変化していく。これが空気酸化。十数回繰り返して色の具合を仕上げていく。

四十余年の経験と柔軟な感覚が生み出した刺子織の作務衣――燗熟、七代目の技(2)

「藍は子供みたいなもの。毎晩様子を見守ってやらないとダメになる」
染め場に立つ。薄くから濃くまで度合いに応じて8つのカメが並んでいる。よく見る丸いカメではない。七代目のアイデアによる四角い大きなカメである。「藍が沢山入るしね…」とニヤリ。いわゆる凝り固まった職人気質ではない。
染めてみるか…とカメの前に立つ。柔和な顔がキッと締まる。かきまぜるとカメの中は黄土色。白い糸を漬けて引き上げる。緑色になっている。キュッキュッと絞る度に藍色に変化していく。これが空気酸化という現象。自然の植物の葉から生じ、大気により彩りをつける――まさに藍染の醍醐味の瞬間である。
「藍は生き物。目を離すことなく見守ってやらにゃならん」
毎晩、カメを見回る。だから、七代目のカメには火を起こす穴が付いている。染め場の壁や屋根はススが層になっている。柔軟で合理的な七代目のやり方も、すべて藍に対する愛情から出ている。
まさに“藍情物語”ですね…と軽口を叩くと、七代目は照れた。

四十余年の経験と柔軟な感覚が生み出した刺子織の作務衣――燗熟、七代目の技(1)

産地を訪ねて――西ヶ崎
JR浜松駅から車にゆられて30分あまり、西ヶ崎に着く。この地は古くより、いわゆる“遠州”の通り名で知られる織物の里である。
この西ヶ崎で染織の老舗として代を重ねているのが、本日訪れる辻村染織。門を入るときれいに刈り込まれた松が目に飛び込んでくる。昔ながらのたたずまいを残した工舎が点在している。
自宅玄関前に、七代目はいた。
「何でも土台が大事。だから、刺子織でも染にリキが入るね」
辻村辰利さん。七代目当主である。職人気質の気難しさなどはかけらもない。腰が低く実に柔和。それに大の付く照れ屋である。
常に新しい作務衣づくりを求めている伝統芸術を着る会の耳に飛び込んできた風の便り。「遠州に刺子の作務衣あり…」
すぐに開発スタッフが西ヶ崎に駆けつけたのが事の始まりであった。四十余年の技術と経験を持ちながら、柔和な感覚の持ち主である七代目辻村さんの作品の素晴らしさに話は急展開。当会の作務衣づくりに対する姿勢に共鳴してくれた七代目と意気投合の結果、画期的とも言える「刺子織作務衣」が日の目を見たというわけである。
茶を飲みながら、しばしの談笑。「そろそろ参りますか」。不意に立ち上がった七代目。技のほどを見せてくれるという。
「白糸の模様を映えさせるためにも、土台となる染めが大切」という七代目。刺子に一番適した色の度合いは微妙だという。
「浅葱(あさぎ)じゃ薄く、紺までいくと濃いし。藍と縹(はなだ)の中間というところでしょう」
つまり、この藍地の色合いの出し方…これが技のひとつである。「どうしても白糸の方に目が行くけど、リキが入るのは、やはり染めだね」

古代の浪漫 泥染(2)

せわしい世の中にあって古代に夢馳せる贅沢。
素材はもちろん天然の恵み豊かな綿100%を採用。その無垢な素材を、藍にて一度薄く染め、その上からりょくばん酸化第一鉄を含んだ泥を用い、媒染に特殊な石灰を使いながら染色。
そこから、えもいわれぬ素朴な温もりを放つ彩りが生まれたのです。いや、何千年ぶりに蘇ったというのが正解…。
しかも、これも先人の知恵の賜物なのでしょうか、泥には多くの鉄分が含まれており、まとうだけで身体にいい影響を与えてくれます。
群馬県にある有名な温泉地、伊香保温泉がその顕著な例で、赤茶けた不透明なお湯は鉄分の多い証拠。昔から「伊香保温泉は皮膚病に良い」と言われ、お湯につかったり赤茶けた手ぬぐいやタオルを持ち帰り、それで浴衣や寝間着を作ると蚊や虫を防ぐ効果があったとか…。
科学染料を一切使わず、いわば無農薬製法とも呼べる純な工程から生まれた「泥染作務衣 古代茶」。
もちろんすべてが手染めのため、一着ずつの仕上がりが微妙に違います。だからこそ手に入れた一着は、世界でただひとつ、その方だけの一品。
汚れを知らない弥生、縄文時代の人々の無垢な息吹を肌で感じながら、古代に思いを馳せつつ静かな時を過ごす…。
せちがらい世の中だからこそ、そんな心の贅沢を存分に愉しんでいただきたいと思います。

古代の浪漫 泥染(1)

古代びとが夢見たお洒落の原点。大地の温もりを伝える染めがここにある。弥生、縄文人が見に付けた染を遂に復刻!
私どもではこのたび、古事記や万葉集にもすでに記されているほど古く、染めの原点とも呼ぶべき土染め(はにぞめ)と呼ばれる古代染色技術の復刻を遂に実現しました。
土に含まれている鉄分など、様々な成分が作用していて、実に素朴で深みのある独特の色合いを醸し出すその染めによる彩りは絶妙そのもの。古代びとの浪漫を秘めた、幻の染めの一着をご覧あれ。
大地を着る。太古をまとう。これぞ温故知新。
新作に用いられた泥染めの基本となった土染め(はにぞめ)は、近年では東京都町田市の和光大学講師であり、古代技術の研究を専門とする関根秀樹氏が復元に取り組み、マスコミなどで取り上げられ話題を呼びました。
そして遂に今回、その古代の浪漫あふれる染めを復刻し、作務衣としての開発に成功したのですが、実はそのきっかけは、記事を目にした当会のご意見番からの叱咤激励でした。
「これこそお宅が挑戦するにふさわしい技。素朴そのもので、しかも太古の浪漫にあふれている。弥生時代や縄文時代に生きた人たちが身にまとった彩りをまとえるんだから、考えただけでワクワクしてくる…。さあ、ぐずぐずしないで始めようじゃないか」
そしてこの秋、遂に完成した作務衣はこれまでスタッフの誰もが目にしたことのない、素朴でいながら、どこか力強さを感じさせる一着。それは、私どもにしか創れないという強烈な自負もあったからです。染めの原点を復刻し、古代びとのお洒落心をも現代に蘇らせた、「泥染作務衣 古代茶」の誕生です。

土布香雲染(どふこううんぞめ)について

豊かな自然の恵み、完成を鳴り響かせる意匠。着る方を選ぶ一着。話題騒然、自然派志向の貴重な生地と染め
和装の世界でいま、大きな注目を浴びている織りと染め、それが「土布(どふ)」と呼ばれる生地と、「香雲染め」です。
話題の要因は、豊かな自然志向と希少価値。
「土布」とは木綿の太糸を用いた粗布のことで、手紡ぎ、手織で丹精込めて織り上げられたその大らかさと素朴さは、作り手たちの温もりを実感させてくれます。
「香雲染め」は植物の根などを用いる単なる草木染めではなく、根はもちろん、葉、そして泥を用い、太陽の光にさらして実に長い時間をかけて染め上げる、まさに自然の恵みをすべて注ぎ込んだ究極の染め技法。その貴重さは、泥染めで有名な、あの大島さえ越えるといわれています。
この出会いはセンセーションを巻き起こすこと必至
「土布」と「香雲染め」、その両者をひとつに採りいれた作務衣が完成したというのですから、これは作務衣愛好家はもとより、和服の世界でも大きな話題を呼ぶことは必至です。
豊かな天恵を人知を駆使して仕上げた意匠は、作務衣も遂にここまで来たか、と思わず羨望のため息が出るほど。
この、和の金字塔とも言うべき一着に袖を通す幸運な方は、一体どなたなのでしょうか。