春眠暁を覚えず。かといって伝統芸術を着る会といたしましてはうたた寝している訳にはまいりません。新しい命が芽生える春を前に新作をと、スタッフ一同ねじり鉢巻で昨年より知恵を絞っていたところへ、嬉しいニュースが飛び込んできました。
一報の主は会員の方々にはおなじみの辻村染色七代目当主、辻村辰利さん。作務衣の専門館と呼ばれる当会の数ある作務衣の中でも名作との誉れ高い、あの刺子織作務衣「唐法師」を手がけた、当会きっての名匠です。
「息子が個展を開くことになってね。なかなかいいモノができてるんだ。ぜひ、見に来てよ」
息子さんとは八代目、辻村啓介さんのこと。七代目のもとで十二年、藍染修行を積み、襲名後は茶葉染作務衣を始め、独自の染や織りに挑んだ新しい感性の作務衣を創り、大好評を博している事はご存知の通り。
独自の道を切り開いてきた八代目の個展、しかもめったに息子を褒めない七代目のたっての誘い。これは!と弾む胸を抑えつつ駆けつけたのですが、作品を前にして、ときめきは高鳴るばかり。
どの作品も、伝統的な礎は残しつつ、若い斬新な感覚が盛り込まれており、特に意匠の面では僭越ながら七代目を超えたのではないかという声もチラホラ。会場を訪れた、染や織りに興味のある方々、和装のプロからも高い評価を得ていたのです。
早速、この意匠を活かした作務衣創りを八代目にお願いしたところ快諾を得て、ついに刺子織と藍染の魅力を存分に堪能できる5年振りの新作「本藍染刺子織作務衣・彩雲」が誕生しました。
幻の紫紺染(しこんぞめ)に挑む。
粋を極めた江戸紫…究極の草木染、遂に完成。選ばれたものだけが、纏うことを許された高貴な色。
当会ではここ数年、コーデュロイ作務衣に始まり、ジュンロン・スエードなど、新しい素材を用いた新作を次々に発表、作務衣の新たな可能性に挑戦してきましたが、やはり「伝統芸術を着る会」としましては、失われつつある古き佳きものに光を当て、現代に蘇らせるのが本領。
それを忘れていたわけではありません。その難しさから幻とまでいわれた究極の草木染「紫紺染」に挑み、密かに研究を重ねていたのです。
試行錯誤の末、この度遂に「紫紺染」による最も高貴な色「江戸紫」と呼ばれる深い紫の再現に成功いたしました。
「草木染」というと、渋い落ち着いた色という概念がありますが、草木染しかなかった平安時代でも、文献によりますと高貴な方の衣服に鮮やかな色のものが多く、金銭・労力をおしまず工夫すれば、鮮やかな草木染も可能だったということになります。
その代表的名ものがこの「紫紺染」なのです。
最も困難で最も高貴な「紫紺染」
紫紺は山野に自生する多年草、紫草の根で、植物染料での染色中最も難しいものとされています。
紫紺染の紫はシニコンという色素によるものですが、シニコンは冷水にほとんど溶けず、他の植物染料のように煮出すと緑黒色に分解してしまいます。
ですからまず石臼で挽き、摂氏60度以下の温湯で時間をかけて抽出しなければなりません。これに灰汁で処理した布を浸染し、繰り返し染めていきます。
また紫紺は、絹でなければ発色が悪く、綿ではその色が十分に出ないという特徴があります。
いくら良い色も染まっても、染色工程が複雑で手間がかかり、しかも絹でなければ鮮やかに色が出ないとなれば、一般の庶民がその色を手にできるはずもなく、聖徳太子の時代から冠位十二階で定められているように、紫紺染の紫が最も高貴な色とされてきたわけです。
また、伊勢皇大神宮の幕、宮中の儀式殿・斎殿の幕もこの紫紺染によるものです。
正絹刺子織作務衣 黒刺子開発話
もうすぐ100にも及ぼうかという作務衣を開発し、会員の皆様にご提供している当会のスタッフも、仕事を離れれば作務衣の好きな一人の人間。ですから好みもさまざま、作品の好き嫌いだってあるのです。
そんなスタッフが、こと「人に見せたい一着」という点に限れば、ほとんど意見を一致させる作務衣があります。
その一着というのが、一昨日の秋に開発した「絹刺子作務衣」です。華麗な絹の輝きに、刺子の存在感のある質感が交わったこの作務衣の風合いと表現力は圧倒的。スタッフはおろか、会員の皆様をも一様に唸らせたものでした。
絹と刺子がおたがいの良さを引き出しあう…
着て誇らしく、人に見せたくなる作務衣――これは「人と作務衣の関わり合いを考える」という照合のコンセプトを受けるに最もふさわしい一着ではないでしょうか。
というわけで、今回の巻頭を飾る新作は、絹と刺子の組み合わせ、これ以外にはない!と衆議一致を見ました。
色は、黒。といっても真っ黒ではありません。刺し模様の質感が微細な白と黒の世界を展望し、全体の色彩感としては、濃い鼠色を思わせます。まさに「黒刺子(くろざしこ)」。素直にこれを作品名として頂きました。
この彩りと質感を流麗に気高く包み込んでいるのが、絹ならではの輝き。なにしろ、刺子に織るため、通常の3割近くも多く使われている絹の光沢が刺子独特の凹凸を鮮やかに際立たせています。思わず触ってみたくなるこの質感――。
織りはもちろん刺し子織。通常の刺し子織は地布になる糸より刺子部分の糸の方が太くなりますが、この絹刺し子織は、同じ太さの糸で浮き織りにして凹凸をつけています。
これは「崩し織刺子」という伝統の技法。この刺し子織による質感が、逆に絹の輝き過ぎを抑え、総じて格調高さを生み出しています。絹と刺子がお互いにその良さを引き出し合っているということです。
本来的な意味からすれば、水と油に近い「絹」と「刺子」の組み合わせが、ここまで高い品質レベルで完成。まさに、人に見せたい一着です。
七代目辻村染織再び(2)
「日本人は刺子が好きなんだね。頑張り甲斐があるよ」
「で、これは私からお宅に申し出たいんだが、刺子織の“はんてん”をやってみたいんだよ。刺子織にはぴったりだと思うんだ。作務衣の上から羽織ってもいいし、ジーンズにも合うと思うよ」
と膝を乗り出す。てんてこまいで参ったね――などと言いながら、作品のイメージがわいたらとことんノリまくる。代々受け継いだ職人気質にどうやら灯がともったようだ。
「今回の新作には気が入ってる。期待してもらっていいと思うよ」
前回お会いした七代目が職人らしからぬ柔和さを見せたのに対し、今回の七代目は意欲が前面に出てきているように感じた。
「お宅の会員さんはレベルが高いから、ヘタ打てないんだよ。ま、一枚一枚心を込めてやるしかないね」と七代目はキッパリ。小柄な体を駆使して藍ガメをかきまわす姿からは、話をしている時とはまるで違う雰囲気が伝わってくる。
「前回は前回。やっぱり新作を送り出す時は心配なもの。今回も、一枚でも着てもらえれば、私は嬉しいね」
出た、七代目の名セリフ。でも今回は、七代目は最後まで目を伏せなかった。
七代目辻村染織再び(1)
「ずいぶん忙しくなっちまったね。でも、わしのペースでやるだけさ…」
「一枚でも着てもらえば、私は嬉しいね」――前回、初めてお訪ねした時に七代目がボソッと呟いた最後の言葉がこれであった。
あにはからんや、七代目の予想(?)は見事に外れ、刺子織作務衣三点は発表と同時に大変な反響。予定した枚数はあっという間に売り切れ、追加、追加でてんてこまいという状況が生まれてしまった。一年経過した現在、新作準備中の七代目を訪ねてみて、その近状などを報告してみたい。
「羽織は悪いことした。でも、そのぶん今回はもっと頑張るからね」
やはり、てんてこまいであった。しかし、目は笑っている。やあ、と手を上げて、しばしお茶の時間となる。
「いやあ参ったよ。こんなに仕事したのは何年ぶり…いや何十年ぶりかねぇ」
と手を見せる。ツメの間まで藍に染まっている。こちらとしても想像以上の反応で驚いていることを伝え、やはりモノが良いと売れますね――と水を向ける。途端に照れてしまう七代目、変わっていない。
「まあ…というよりも珍しかったからじゃないかね。刺子の作務衣ってのがさ…」
ところで、会員の方から“羽織”が矢の催促なんですけど――。
「あ、それそれ。悪いことしたね。すぐにやっちまうはずだったんだが、作務衣の方に追われてしまって。いくら忙しいからって、一枚一枚手を抜くことはできないしな、ついつい後回しになってしまったんだよ。でも、今回は大丈夫。必ず間に合わせるから…」
とのこと。刺子織の羽織を待ち望んでいる方へよろしくと七代目からの伝言である。
「しかし、ちょっと裏地が気に入らなくて、もう少し試作してみようかとも思っているんだ」
これが名人気質というものか。刺子織羽織も期待が持てそうだ。
布を刺す。刺子織りの話。(2)
衣服の補強と保温。刺子のはじまりは、なぜか悲しい…。
その昔、木綿は大変貴重な素材でした。特に綿の栽培が出来なかった東北の地においては、百姓農民が木綿を衣服として着用することは藩令によって禁止され、もっぱら麻地を着用していたとされています。
夏はともかく、寒さ厳しい北国の冬を麻の着物で越すのはちょっと無理。そこで衣服の補強と保温を図るために、麻の白糸で布目を一面に刺して塞いだのが刺子のはじまりだったのです。
それがいつの頃だったか、これも定かではありませんが、津軽藩江戸定府の士、比良野貞彦が天明八年に著した「奥民図集」に、
『布を糸にてさまざまの模様を刺すなり。甚見事なり。男女共に着す。多くは紺地に白き糸を以って刺す』
と記してあることから、この時代にはすでに刺子の手法は確立していたと思われます。
農家の娘は、五歳になると針を持たされ、母親と共に毎日のように刺し続けます。やがて嫁に行き、生まれた娘へ…とこの手法は代々継承されていったのです。
身近な自然風土をテーマにした模様は、鮮烈で感動的――
囲炉裏を囲んで黙々と刺し続けるこの“仕事”の中で、娘たちはただ単に実用という目的以外に、飾る歓びを見つけ出します。それが、実に見事な刺子模様を生み出していったのです。
現存する模様を見て見ますと、その発想は身近な自然の風土から生まれているのがよく分かります。猫の目・豆っこ・花・竹・石だたみ…などと独創性豊かに刺されていて、その素朴さとエスプリには感動を覚えるほど。
藍地に白のコントラストは実に端正で、怠惰な飾り立てに飽きた現代人の感覚に鮮烈に訴えるものがあります。
緑茶染作務衣(りょくちゃぞめさむえ)
職人が、茶処は静岡の県産業技術センターの協力のもとに作り上げた、茶葉染作務衣「掛川」から5年。満を持して、この夏、緑茶の微妙な緑にこだわった新作「緑茶染作務衣」がデビューします。
かつて、3年もの歳月をかけて完成させた茶葉染作務衣
静岡県西ケ崎の八代目が「お茶染め」に挑戦し。3年もの歳月をかけた茶葉染作務衣「掛川」は、完成まで何度も試作を重ねました。
何しろ一着に一キロの一キロの茶葉を使うため、お茶の手配から始まり、そしてその後、お茶の煮出し、2時間の漬け込み、媒染1時間を4回繰り返す等、まさに気の遠くなるほどの手間がかかりました。
さすがに完成品の出来栄えは見事の一言に尽きましたが、当時は数多く作ることができず限られた皆様にしかお届けできない状態でした。
もう「お茶染めの作務衣」はないのかとお問い合わせ、ご要望を頂く度に、心苦しい思いをしたものです。
茶葉染めの経験を生かした新作緑茶染め。
ご要望には何としてでも応じさせて頂く、それも間に合わせでないものを…というのが当会の技術と心意気。前回の経験を生かし、着々と準備を重ね、新茶の登場を待って、新作発表にこぎつけました。
鮮やかな、香り立つようなお茶の緑の再現。緑茶染めならではの健康的な肌触りは、まさに緑風をまとうような着心地です。
味わい深い素朴な色合い…上質のお茶から生まれた「緑茶染作務衣」。
天と地と人に育まれ…八十八夜に摘まれし香り高き緑茶。今、各方面で注目を集めている、緑茶そのものから染め上げた作務衣が完成しました。
お茶の香りがしそうな上品な作務衣です。
西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(7)
何だかお茶の香りが漂ってくるような、素朴で上品な色合い。
以上、駆け足ながら工程を見せてもらった。しかし、まだ完成品を拝見していない――。
「いやあすまん。工程を経てから見て欲しかったもんでな。少しじらしすぎたかな…」と七代目。そこへ啓介さんが、一着の作務衣を抱えてやってきた。
スタッフから期せずして声が上がった。先ほどの糸の段階で見た黒っぽい感じはきれいに消えていて、実に味わい深い“茶色”に仕上がっている。少しザラッとした手触り、表面にボツボツした加工がしてある。
「ネップ加工をしてみたんです。作務衣の良さは、様式や色と並んで肌にふれる感触や素材の手触りにあると思いますから、ゴワゴワ感やザラッとした感覚は大切だと思いますよ」と啓介さん。そう言えば、七代目の代表作“刺子作務衣”も…。
「茶染めの新しさだけに甘えちゃいかんということですな」と、七代目がピシリと決めた。
しかし、何とも素朴で上品な色。何だかお茶の香りが漂ってくるような感じ。これなら文句なしである。
「申し訳ないと思ったけど、自信があったのでもう作り始めているよ。というのも、かなり日数がかかるし、茶の大量仕入れの関係もあったからね…」
それは大助かり、手作り作務衣の悩みは、注文殺到時の供給が追いつかないことだからだ。
夏季的な茶染め作務衣の開発。しかも、この質の高さは驚異的。
「趣味や同好会などで個人的に茶染めをやっている人はいるかもしれないけど、茶染めの作務衣ってえのは聞いたことないな。まず初めてのことだと思うよ」と七代目。啓介さんもウンウンとうなずいている。
常に作務衣の質的な向上と広がりを求め続けている当会としては、今回の本格的な茶染めの開発は非常にありがたい。しかも、初めてにしてこの質的レベルの高さは、啓介さんと七代目に深い敬意を表したい。
それもこれも部屋の片すみに積んである試作品の山に尽きるようだ。
「いやあ、これは人に言うことじゃないですよ。自分自身のためにやったことなんですから…」と謙虚な啓介さんだが、思い込んだら一すじの妥協を許さぬ性格が、この成功を収めたと言うべきだろ。
来年の八十八夜に向けて、早くもお茶の手配を…
今後、西ケ崎では、藍染めを七代目、茶染めを啓介さんの二本柱で展開してゆくという。
「来年の八十八夜に向けて、材料であるお茶の手配にもう頭を痛めていますよ」と啓介さん。幸いに、この茶染め開発には、掛川の農協関係者も注目していて、協力を約束してくれているという。
七代目、立派な跡取りができましたね――と水を向けると、「なあに、まだまだひよっ子だよ」と照れた。
西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(6)
タテ糸とヨコ糸の割合をイメージに沿って計算する。
天日干しした糸をいよいよ織り機にかける。ヨコ糸は少し濃い目にタテ糸は薄目に…。
「その割合は倅が計算するんだ。ただ織りに関してはワシにも多少の出番はあるな」と七代目。啓介さんも、「よく相談しますよ。やはり、おやじの経験は貴重ですからね」
啓介さんのイメージにある色を実際に織りで出すのだから、タテ糸、ヨコ糸の割合はデリケート。二人で額を寄せ合って考えている。
「染めの色が均一な科学染料なら一回決めちゃえばいいんですが、手染め、糸染めですから、その都度細かなチェックをいれてます。それに、これまでずいぶん織ってきましたから、だいたいのカンは身についてます」
手織に近い速度でゆっくり糸が織られていく。
こうやって織り上げられた生地を、ワッシャーで丹念に洗う。この段階で、茶染め本来の色が姿を現すわけである。これでもか、これでもかとワッシャーにかけることで色落ちも防げる。
最後に、この生地を縫い、いよいよ完成となるのだが、啓介さんの仕事は一応これで終了。あとはプロの手による縫い上げを待つばかりである。しかし、ほっとする暇はない。山のような白い糸が、啓介さんの染めをじっと待っているのだから…。
西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(5)
漬け込み2時間、媒染を1時間。これを4回繰り返す。
漬け込みを終えた糸を次のカメに移す。ねずみ色かかった黒い液。
「これが媒染液、鉄分を混入しています。この液に漬けておくと鉄分の働きで、染付けが良くなるんです。つまり、色がくっつきやすくなるんです。ここで染付けの堅牢度を高くしておかないと、色が濃くならない上に、洗うと色落ちの問題も出てきますから…」と啓介さん。一回に約1時間、この媒染液に漬け込む。
引き上げると、これが茶染め?と思うほど黒い。これでちょうどいいという。煮出し液への漬け込みが約2時間、媒染が1時間――この染め工程を4回も繰り返す。合計12時間も漬け込むというわけだ。
タテ糸ならこれでいいが、濃いヨコ糸は、この工程をさらに3日間も続ける。約36時間というから、確かに茶染めは難儀やなぁ…という感じだ。
染め上がった糸は、脱水機にかけ、天日干しにする。脱水した時点で少し薄くなったが、それでもかなりグレーっぽい。素人サイドから見たらやっぱり不安だ。
「大丈夫だって…洗い落とした時点の計算は十分にしてあるんだから」と啓介さんはニヤニヤ。この糸を洗うんですか?と聞くと、このまま織り機にかけるという。もういい、仕上がりをじっくり見させてもらおう。