人と物の付き合い考 縁起

私たちは生活するあらゆる場で様々な<物>たちと共生しています。
古くは農耕や狩猟に使った道具から、現在のハイテク製品まで、必ず私たちを助けながら生活を共にしています。
これらは、ある時は便利に生活するために欠くことができないものであったり、ゆとりや和みを与えてくれるものであったり、心の拠り所になるものであったりと、生活の中で様々に関係しています。
そして、その<物>と私たちとの関係が長くなればなるほど、愛着という感情が育ち、互いに親密さが増してゆくものなのです。
あなたの身の回りにもそんな愛着のある<物>が、きっと多いことでしょう。また、今後関係を深めてゆくものたちとの出会いは永遠に続くはずです。
「縁起」とは、仏教用語で因縁の法則。
一般には、神や仏の霊験を記したもので、多くのものの吉凶を法則化したものと言われています。
そんな縁起を最も大事にしたのは、江戸時代の庶民たちでした
一方、中国には『風水学』と呼ばれる開運を追及する学問があります。これは、色、方位、形など常に一定の法則の基にあり、これを実践することで運気を集め成功に導くというものです。
香港の街の建造物などは全てこの(繁栄のシンボルである竜の通り道などを想定した)風水学に基づいて建築されています。
さて、最近の日本でもそんな縁起を担ぐことを生活に取り入れることが流行しています。なかでも、不況を反映して蓄財を縁起祈願する弁財天に纏わるものの人気が高いようです。
弁財天は、インドの神話でサラスヴァティーと呼ばれ、穀物を豊かに実らせる川の神とされ、蛇を使者としています。
蛇は西洋では医聖ヒポクラテスの時代から知恵のシンボルとして有名ですが、日本では蛇の夢を見ると大金が入るという言い伝えは、この弁財天に由来しているのです。
このようなことから弁財天の化身とされる天然白錦蛇の財布が金運を集める商品として人気を集めています。
また他に、幸運をもたらすものとして人気が高いものに竜や虎や招き猫といったものがあります。
竜虎は、都の東西を護るものといわれ風水では重要な存在とされ、招き猫も人とお金を招くとしてその愛嬌も含めて多くの人に愛されているのです。

新年はご家族お揃いで――作務衣で迎えるお正月 (2)

それは日本人の新たな心意気
厳かな中にも、ぬくもりとくつろぎに満ちたひととき――私ども伝統芸術を着る会では、そんなお正月を実現するために、創設以来一貫して<作務衣で迎えるお正月>というライフスタイルを提唱し続けてまいりました。
しかし、作務衣を着て、和の精神論を滔々と語っていただきたいというのではありません。
佳いものは黙っていても相通じると申します。
大黒柱が正月おろしの作務衣に袖を通し、ずいと上座に居座るだけで、まさに以心伝心。
ご家族の方々の心に情憬の思いをいだかせ、謙虚と粋を併せ持つ和の伝統の心意気がじんわりとしみ渡るのです。
ご家族で作務衣姿。温かな団らんもひとしお…。
そこで、<作務衣で迎えるお正月>をより一歩進めたご提案をひとつ。
一家の長に、新春に相応しい作務衣を着ていただきたいのはもちろんなのですが、年賀といえば、例えば一家をお構えになったご子息や、嫁いでいったお嬢様方と久方ぶりに絆を確かめ合う目出度いお席でもございます。
あれこれと思い出話に華が咲き、身内ならではの遠慮のない温もりをしみじみと感じながら夜も更け、お泊りになられることは当然のこと。
そのご家族のお着替えとして、作務衣をご用意されてみてはいかがでしょう。
三箇日に皆さま揃って粋な作務衣姿。
むこ殿と時を忘れ杯を交わすもよし。童心に返り、皆が揃って双六のひと振りに歓声を挙げるもまた一興。
実に粋な情景と相成るに違いありません。
着るだけで和の佳さが伝わる、日本の伝統着――作務衣が、ご家族の絆を深めることにも役立てば、作務衣の専門館として決意も新たな当会として、これほど嬉しいことはございません。

新年はご家族お揃いで――作務衣で迎えるお正月 (1)

一年の計、元旦の儀式。その佳き習わしが今や…。
桃源郷に遊ぶ――とでも申しましょうか。
理想を追い求める人生は、ふと気づくと、驚くほど時の流れが早いもの。
つい先日、春を寿ぐ心地よい調べを耳にしたと思っていたのに、街には師が走る季節の兆しが漂い始めています。
一年使った心の旅のわらじを脱ぎ、家族揃って心身ともに清水を浴びるような、清々しいお正月はもう目の前。
とはいえ、年賀の席も今やめっきり様変わり。
洋風ナイズされた時代に生まれ育った若者方は、一年を通じて最も日本人として生まれた慶びが堪能できるお正月といえども、その過ごし方は如何せん、賑やか三昧の洋風…。
伝統を重んじる和の風が時代の空気を確実に変えつつあるとはいえ、一朝一夕にはいかぬものなのでしょうか。
会員の方々にはお分かりいただけると思うのですが、幼心にも感じた元旦の朝の一種の緊迫感。大黒柱がずいっと姿を現わし屠蘇をいただき、頼もしい中にも畏怖を覚えた、みそぎのようなひととき…。
思わず背筋が伸びるあの時があればこそ、それからの一年にかける思いが際立ったのです。
それが消えつつあるのも時代の流れ…と割り切ってしまうことの善し悪しを論じるつもりはありません。
どんなに形が変わろうとも、新年祝う気持ちに違いはないのですから…。

厳かに、くつろぎたい--作務衣で迎えるお正月(1)

年賀状の整理などをはじめると、もう年の瀬。季節はめぐり、またお正月がやってきます。
ところで、来たるお正月は、あなたにとって何回目になるのでしょうか。指折り数えていると、これまでのお正月がまるで絵草子のように浮かんでくるものです。
無邪気にお年玉袋を抱えてはしゃいでいた頃、元旦の儀式が何となくわずらわしくてすねて見せたあの頃、子達にお年玉をあげる立場になった頃…。
さまざまなお正月を重ねながら、現在があります。まさに、お正月は人生草紙の折り目であり章なのです。

正月おろしの<寿シリーズ>謹寿

<寿シリーズ>で“正月おろし”という方が急増
<作務衣で迎えるお正月>というご提案が、おかげさまで広く普及した影響でしょうか。作務衣に関心をいただきながらも、つい着る機会を逃していらっしゃる方や、「正月くらいはやっぱり和服でピシッと過ごしたいが、着物じゃちょっと窮屈だと感じていたんだ…」という方々から、お正月が作務衣を着始めるいいきっかけになったよという、実に嬉しいお便りがこの数年でたいへん増えました。
その傾向に応じて六年前にスタートした「寿シリーズ」も、おかげさまで毎年大好評。そしていよいよ、今年を寿ぐ新作は…?
人気の“黒刺子”を寿尽くしの衣装で仕立てた、誠にめでたい、そして皆様待望の一着と相成りました。

儀式と伝承の桧舞台、お正月

一年、三百六十五日が過ぎると気分も新たに年が始まります。いつ、誰が考え出したのか知りませんが、こんな時間の区切りというのはとてもいいものです。
人生が、いや歴史がただ何百何十万何十日…と区切りもなしに続くとしたら、味も素っ気もないものになることでしょう。
年号があったり、百年を世紀で表したり、一年は十二ヶ月、ひと月は三十日という具合に霧があることは、日々にメリハリを付け四季の移ろいも合わせて、私たちの暮らしをみずみずしいものにしてくれる、とても人間的なシステムだと思います。
伝統の儀式や様式、お正月は桧舞台です。
その最も象徴的なものが“正月”です。
十二月は三十一日の深夜まで取り立てに走り回る借金取りも、除夜の鐘と同時に“おめでとう”――これは別に落語の世界だけの話ではありません。
新しい年のめでたさや晴れがましさの前では、旧年のイヤなことやつらいことも姿を消してしまうということです。
という訳で、今年も残りわずか。
何かと大変だった今年も、一夜明ければ希望に満ちた新しい年のスタート。
何代にもわたり伝承されてきた儀式や様式の舞台が、松が取れる頃まで華やかに厳かに展開します。
家族全員が、あたかも時代劇やドラマの主人公みたいに気取っていたり、お父さんがお父さんらしかったり…多少のテレくささはあっても、それでいいのです。それが、まさにお正月なのですから。
みんなが日本人になってしまう初詣には、和装の人もどっと繰り出します。そんな中で、思い切って異彩を放ってみませんか。古くて新しい装いの組み合わせ。重厚にして斬新、参詣の人たちのため息を感じながら闊歩。
作務衣で迎える正月には、格別の味わいがあります。

唐桟縞(とうざんじま)について(3)

この唐桟縞で作務衣を仕立てる――
唐桟縞に関するおおよそのことはお分かり頂けたかと思います。そこで本題に入らせていただきます。
私ども「伝統芸術を着る会」では常に“古き佳きもの”を掘りおこし、現代に新しい生命を灯す――というテーマを持って活動を展げています。そのアンテナが、この唐桟縞を確実にキャッチしたのです。
なにしろ、インドからやってきてその粋さと色感覚のモダンさで時の江戸っ子たちを陶酔させてしまい、一時代を築いた織物なのですから、これは見逃すわけにはいきません。
早速、唐桟作務衣の開発に着手したのですが、これが以外に大変なこと。
それは織りであると同時に縞模様でもある上に、後に国産品も多く登場したため実に縞や色の組み合わせの種類が多いのです。ですから、これが唐桟!と断じ切れない部分も生じてくるのです。
そこで、唐桟縞の中から典型的な二種類を対称的に選び出し、多少のオリジナリティを加えることにしました。
色も同様。藍と白のたて縞を青手と呼び、赤い縞を赤手と呼んだ唐桟縞の初期の大別に合わせて独自の色合いを組んでみることにしたのです。
テーマは「江戸の粋」。素材は光沢の似た絹を使うことに決定。
テーマは「江戸の粋」という点に置き、名称も青手系を「音羽」、赤手系を「花川戸」と決め、そのイメージに即した縞柄を求め試作を繰り返しました。
さらにもうひとつ、大きな決断が必要でした。それは素材です。
元々、唐桟縞は木綿が素材であったために江戸の庶民の間で流行したといういきさつがあります。しかし、それは当時、町人が自由に絹を着ることができなかったという事情があります。そして、この海を渡ってきた縞木綿が、まるで絹のような光沢を放っていたことが人気の秘密でもあったのです。
これらの点を考え、さらに江戸の粋を求めるなら…と、素材は絹を使うことに決定いたしました。
静と動で“粋”を表現、コントラストの強い二作品が完成しました。
このような過程を経て、「絹唐桟作務衣」を二点、今回の発表に間に合わせることができました。
前述のように、この二作品は敢えて中道を行かず、コントラストの強いものに仕上げています。江戸の粋を、静と動という形で表現してみたという次第。皆様のお好みはどちらか?正直にいって私どもにも想像がつきません。
いずれにしても、この「絹唐桟作務衣」は私どもの作務衣開発のプロセスで記念すべきものになることでしょう。
全体を縞模様で作務衣を仕立てたこと、それもインド生まれの唐桟なのですから画期的。
これは、私どもの作務衣づくりの過程が、様式や形式を守り復活するという段階から、新しくファッション感覚を表現していく段階へと歩を進めた第一歩といえましょう。

唐桟縞(とうざんじま)について(2)

粋な舶来品の上陸に、新しもの好きの江戸っ子が飛びついた。
この唐桟縞が初めて日本に渡ってきたのは、桃山時代と言われています。ですが、一般的には徳川家康の貿易奨励政策がすすめられて以降と考えてよいでしょう。
唐桟は冬の着物として職人、芸人、商人などの間で大変もてはやされていたようです。まず、木綿ですから町人が自由に着れること。さらに、細い糸で打ち込みが固く織られているため、麻状の外観と絹に似たつやと風合いを持っていたこと。しかも、舶来品とあって自慢できた――などの理由で大人気。
特に、気っぷのよい職人たちはすっかりこの唐桟のとりことなっていました。
粋な縞模様と、日本人にはない色感のモダンさは、まさに江戸好み。江戸時代半ば頃から末期にかけて大流行しました。
中でも、インドのベンガル地方から“紅唐桟”がもたらされた文化、文政、天保の頃は全盛時代。江戸の庶民は、男女を問わずこの唐桟の着物で“粋”を競い合っていたようです。
粋と気っぷで、唐桟縞の技術は今も生き続けている――。
つまり、江戸時代に今で言うファッションの大ブームを巻き起こしたというわけです。考えてみれば、今も昔も人の心はそう変わっていないようですね。新しもの好きで、舶来品に飛びついて…われわれもと“粋”や“艶”を競い合うのですから。
しかし、そんな江戸っ子たちの心をがっちりとつかみ、大流行を生み出したのですから、この唐桟縞も大したもの。その独特の光沢や風合い、粋さは当時の人にとって格別のインパクトがあったのでしょう。
もちろんこの頃になると国産品の唐桟(?)も続々と織られるようになりました。川越、青梅、あるいは博多、西陣など織物の産地がこぞってこの縞木綿を手がけるようになります。
こうなると品質の勝負。江戸の末期にはアメリカからの輸入物も入ってきましたが、品質の点で、“アメ唐”などと呼ばれ本格物と区別するほどになりました。輸入物の質をすぐに追い抜く日本人の技術――これも現代に通じる話です。
その後も、近世から今日まで、唐桟縞は脈々と生き続け織られており、特に趣味的な装いに珍重されています。

唐桟縞(とうざんじま)について(1)

オランダ船で長崎へ――粋でいなせな江戸っ子を陶酔させた
インド半島の西海岸、マルバラ地方にサントメ(英語名セントトーマス)という港町があります。江戸時代、このサントメで織られた織物がオランダ船にゆられ、マカオを経て長崎の港へやってきました。時代を考えればこれは大航海。
今回のお話は、はるばる海を越えてきたこの織物についてです。
まさに織物の黒船――インドから華麗なる縞模様がやってきた。
この織物のことを唐桟(とうざん)といいます。細番手の木綿地に細かい縞を織り出した布地のことで、その名の由来は生産地サントメ(ポルトガル語)から来ているようです。
最初は、そのまま漢字を当て“桟留”と呼んでいたようですが、その後に国内での生産が始まると、輸入品の区別をするため“唐桟”と呼ばれるようになったと言われています。
唐桟の唐は、その昔はるかに遠い外国を意味したものでしょうか。
唐人(外国人)が運んできたからとか、唐物屋(舶来品を売る店)で売られていたからとかさまざま。また、一部では、長崎のオランダ人居留地の名称からとって“奥島”などとも呼ばれていたようです。
つまり、外国からやってきた縞織物というわけです。

絹古彩(2)

正絹作務衣にふさわしい二つの色
さて次に色です。
この絹素材にふさわしく、さらに作務衣の風情を損なわない色が問題でした。単に色を付ければいいというものではありません。文献を紐解き、古い色彩帖(色見本)まで引っ張り出しての色探しでした。
基本は、昔から藍と並び格の高い色とされてきた<茶>と<鼠>です。この二色をそれぞれに何色も試し染めした結果、二つの色の採用を決定しました。
ひとつは<媚茶(こびちゃ)>。
少し黄色味を帯びた暗い灰黄赤色。この色は粋な色として江戸後期に大変流行しいた彩りです。正絹の優美さが、粋な彩りをさらに増してくれるとの判断です。
もうひとつは<鳩羽鼠(はとばねずみ)>。
この色は、わずかに紫がかった灰色。分かりやすく言えば文字通り“鳩”の羽を偲ばせる色で、鼠色の中でも渋さと若さが微妙に交錯した感覚的ま彩りです。
いずれも絹古彩と名乗るにふさわしい色が決定したのです。
光の違いで生じる彩りの変化も魅力!
出来栄えには自信があります。次で完成した商品写真をご紹介していますが、困った事が一つありました。
それは、本誌に掲載するための写真撮影でした。戸外とスタジオ内では微妙に色が変化するのです。
これは、正絹という素材の持つプリズム効果、つまり光沢の変化のせいなのです。しかし、これは絹の魅力でもあるわけですから、逆にこの絹古彩の特色として敢えて提示しています。
どちらの彩りがお気に召すか。それはあなたの感性にお任せします。どうぞ、じっくりご覧下さい。