自然の賜物、藍染。(4)

科学染料ではなく、本物には本物の染めを…
しかしながら、その昔は隆盛を極めていた藍染めも、時が流れるに従い科学染料が開発されるに及んで、手間隙がかかり経済効果も悪いという理由で現在ではその技法を守る染めの里も数をすっかり減らし、特に腕のいい職人は、それこそ指で折れるほどになってしまっていました。
とはいえ、本物の作務衣創りを志向する当会においては、真の藍染を欠かすことは絶対にできません。
なぜなら、科学染料による色と藍染を比べたとき、それはまさに似て非なるもの。天と地ほどの違いを出してしまうからなのです。
前述した如く、本物の作務衣創りに昔ながらの手法をかたくなに守る藍染が必要だと申し上げたのは、このような理由によるものでした。
それもそのはず、その昔、作務衣が生まれた頃には、科学染料など存在しなかったのですから…。

自然の賜物、藍染。(3)

伝統様式の装いだからこそ藍の持つ魅力が生きる
“かせ糸”の漬け込みの回数による微妙な色合いの調整、そして川などの豊かな清流を利用して行われる入念な洗いなど…藍染を行う過程は、むろん全てが職人による丹念で手間暇のかかる手作業…。
彼らの鍛え抜かれた感覚と技術が、藍という自然が生んだ原石を至宝の彩りへと高めてゆくのです。
そんな生きている色だからこそ、藍は見る人や着る人を問わず、しんしんと心に滲みてきます。
時を越えて沢山の人々の間で、変わることのない普遍の彩りとして愛され続けてきたのです。
そのためでしょうか。大らかな自然の恵みから生まれた天然色、洗えば洗うほどに豊かになる味わいを持つ藍が、僧侶が作務(雑念をなくすための労働一般のことで、大切な修行とされている)を行うための着衣である作務衣の基本的な彩りとして用いられたのは、悠久の時が流れても変わることのない、藍の持つ普遍性や特性から考えても、至極当然のことであったのかもしれません。
思い浮かべてみて下さい。藍染の綿の作務衣に袖を通した僧侶が、杜に囲まれた薄霧のかかる早朝の庭を静かに掃き清める姿を…。
自然の風合いをそこはかとなく醸し出す藍の彩りが、一幅の絵のような、そんな情緒あふれる風景に実に良く似合う…。
だからこそ、“古き佳き装いである作務衣を現代に復活させる”という趣旨を掲げた当会が発足するにあたり、その成否は、如何に昔ながらの手法をかたくなに守る、優れた藍染の里と職人を見つけられるかにかかっていたと云っても過言ではありません。

自然の賜物、藍染。(2)

瞬間的に緑から青へ…その変身は藍の描くドラマ
藍染の原料となる蓼藍はタデ科の一年草。降り注ぐ陽光、大地を濡らす慈雨、畑を渡り行く爽やかな風…大自然の中で育つ藍はまさに天然の宝物。
現在のような染めの技法の発祥はさだかではありませんが、正倉院や法隆寺の御物の中には見事な藍染の布が残っており、3~4世紀に藍草(蓼藍)が渡来した際に、染めの技法も一緒に伝わったのではないかと云われます。
染めの過程に見せる藍の姿は神秘そのものです。蓼藍の葉を発酵させて固めた藍玉を、カメの中でさらに自然発酵させると茶緑の樹液が生まれます。
この液に綿を紡いで作った“かせ糸”を漬け込み引き上げると、空気に触れた途端、緑色の糸が鮮やかな藍色にドラマチックに変身するのです。
その劇的な瞬間は“空気酸化”と呼ばれ、藍染の魅力をさらに神秘的なものにしています。
藍の濃淡を決めるのは、この漬け込みの回数。濃い藍だと10~15回ほどで、その色に応じて、かめのぞき、藍白(あいじろ)、浅葱(あさぎ)、藍、紺(こん)と呼ばれます。

自然の賜物、藍染。(1)

いにしえから愛され続ける素晴らしき染め手法
藍。その言葉にそこはかとなく趣と深い味わいを受けるのはなぜでしょう。
中国では紀元前1世紀の頃、すでに「礼記」という書物の中に藍という言葉が登場するほど歴史は古く、現存する最古の藍染を施した布はエジプトのピラミッドから発見された4~5千年前のものと云われており、藍染めが太古から人々の間で用いられていたことをしのぶことができます。
日本でも千年以上の歴史を持ち、かの「源氏物語絵巻」にも登場しており、「青はこれを藍に取りて、藍よりも青し」という、中国の筍氏の流れを受けて生まれた“出藍の誉れ”ということわざひとつをとってみても、藍に対する人々の深い畏敬の念が感じられます。
また藍染の布は虫が嫌う、殺菌の効能があると伝えられ、江戸時代には広く庶民に広まるようになりました。
藍は、人の心までも染め上げてしまう“時代を超えた彩り”といえましょう。
ちなみにヨーロッパでは、明治8年に政府の招きで来日した英国の科学者アトキンソンが「ジャパンブルー」と命名して以来この名で呼ばれており、アメリカでは安藤広重の「東海道五十三次」に描かれた鮮やかな空や水の藍色から「ヒロシゲブルー」と名づけられ、現在では日本の代表的な色として世界に認められるまでになっています。

初笑い

儀式も終え、来客も途絶え、なんだかホッと一息ついたら本当のお正月が始まる――という方も多いようです。飾りや雰囲気は、まだ正月のまま。こんなひとときもまたいいものです。
子供たちは出かけて、女房と二人きり、福笑いでもしてみようかと思い立ち、腹を抱えて大笑い。初笑いかな?などと口元がゆるむ時は、気楽に“はんてん”などいかがでしょう。
どんな装いに合わせてもピタリと決まるのがはんてんの嬉しいところ。
松がとれた頃、どっと正月の疲れが押し寄せるようでは困りもの。身も心もリラックスして…終幕です。

染めを愛し、川はゆったり流れゆく。織りにこだわり、匠は熱く技放つ。(2)

染めと織りが出会い、ひとつに昇華してこそ、喝采を浴びるいい作務衣が生まれてくる。
また、織りに関しても、これまた実に多種多彩。
重ね織り、綾織りなど、基本的な織りの採用はもちろん、生地を補強することを主目的としながら装飾的な要素が魅力の刺し子織や、捩れを付けた糸にて織り上げ、ちぢみのような涼感を創り出す楊柳。
三つの織りをひとつの生地の上で融合させた複雑妙味な交織りなど、目を見張るほどのこれほどの豊富さは、おそらく「伝統芸術を着る会」ならでは。
写真は伝統的な織り機。今では使い手も希少に。だからこそ、その技から生まれる生地には、かけがいのない付加価値があります。
織り機を扱う職人のこだわりも尋常ではなく、時には新しい織りの開発を巡って、意見の火花を散らすこともしばしばだとか。これも作務衣を愛するが故のこと。
そこから生まれる装いの世界の充実度は、まさに推して知るべしです。

染めを愛し、川はゆったり流れゆく。織りにこだわり、匠は熱く技放つ。(1)

染めの名里に清流あり。織りの匠工に自信あり。
作務衣の基本、素材は綿、染めは藍。実にシンプル極まりませんが、だからこそ奥が深い。あなどれない。
そのため「伝統芸術を着る会」では16年前、創立するにあたってしたことは、まず、納得できる染めと織り処を探すことだったとか。
いい織りの里、染めの里…とくれば、生地を洗う清流が必ず一緒にあるはず。それをもとに東奔西走、全国を駆け回った結果、その法則が正しかったことを発見したそうです。
谷川連峰の峻烈な清流を利根川にいただく、埼玉北部の「武州」。
四国三郎の異名を持つ吉野川を擁する、徳島の「阿波」。
そして遠州の通り名で知られる織りと染めの重鎮、静岡の「西ケ崎」。
いずれも全国に名を馳せる染めと織りの里。その名里を作品創りの中心として、正藍染を基本に、草木染め、茶染めなど、多彩な染めに挑戦し、世間をあっと言わせた作品を「伝統芸術を着る会」が次々と発表し続けていることはご存知の通りです。

人と物の付き合い考 癒し

時代が閉塞するとき、人は必ずといって良いほど充実した精神の世界を求めます。そして、充実した精神に必要なものは「癒し」です。
戦後、ひたすら走り続けてきた私たち日本人は歴史の踊場で一息つき、さまざまな価値観の見直しに来ていることを実感しているのです。
今こそ、がむしゃらにモノに執着・拘泥する考えから、そのものと精神が一致する整合性に目を向け始めているのではないでしょうか。
この時、私たちは初めてモノから授かる「癒し」を体験するのかもしれません。
例えば、ブランド商品に目を奪われていた方が、ある時シンプルにして機能的、そのフォルムの美しさに愕然としたという作務衣。
作務衣の現代における人気は正にモノと精神の無理のない整合性にあるのです。
そして改めて回りを見渡せば、作務衣同様シンプルにして機能的、かつ心を癒してくれるものがあることに気づきます。
その一つに僧侶の外出着として馴染み深い「改良衣」があります。
自らを悟りを開く厳しい境地に追い込みながら、人々には慈悲と癒しを施す僧侶が到達した必要最低限のフォーマル着、それが「改良衣」なのです。
ありとあらゆる無駄をそぎ、かつ伝承の様式を踏まえ清潔な「癒し」を与えてくれる「改良衣」。
そこには、私たち現代人が忘れていた「質素という贅沢」を彷彿とさせてくれるものがあります。
人とものとの付き合いに「癒し」を吹き込む「改良衣」は身近に備えておきたい一着です。

人と物の付き合い考 工夫

二足歩行するヒトと猿は他の動物と比べ進化の度合いの高さを示しています。
とりわけヒトは二足歩行によって正に前足であった「手が空き」、あらゆる道具を作り、生活を豊かにしてきました。その道具の一つに”履き物”があります。
ヒトは進化とともに、素足で歩くことによる怪我の恐怖から履き物を生み出しました。こうして生まれた履き物は、時代とともに世界各地でさまざまな形に進化してきました。
こんな俗説なことわざがあります。
“京の着倒れ、大阪の食い倒れ、江戸の履き倒れ”。
このことわざはなによりも「足許を見て人をさぐる」と言われるように”粋”に価値を見出した江戸人がただの歩行の道具であった履き物を、ファッションの域まで昇華させたことの証しです。
今、世界の履き物文化は、その機能性、ファッション性においても進化し続けています。一つの道具が繰り広げる進化は常に時代のニーズが母胎となっています。
さて、このようにヒトは知恵によりさまざまなものを作り出しましたが、最近のストレス社会を反映した安眠グッズが根強い人気を保っています。
健康の基本であり、人生の三分の一の時間をゆだねる”睡眠”こそ快適にしたい、とだれしも願います。
最近では形状・素材のレベルから科学の知恵を取り入れ、安眠のポイントである枕にもマイナスイオンを施し、バイブレーション機能で目覚めもスッキリできるものが発売され人気を博しています。

人と物の付き合い考 拘り

人をもてなす心を礼といいます。
礼を尽くす、これこそが尽くされる人にとっては最高の贅なのです。そして、人をもてなすときには、もてなす側になんらかの「拘り(こだわり)」があるでしょう。
“馳走”という言葉の意味は、客をもてなすために奔走すること、つまり拘ることであり、高価なもの、贅沢なものより、その行為の有り難さを”御馳走”というのです。
昨今、天然、無添加、有機など、素材本来の持ち味に、人の技という行為を融合させ、その拘りを表する代表的なもてなしの料理として蕎麦があります。
最近では、蕎麦打ちも職人の領域から一般へと広がり、お客様が訪れたときに、実際に手作りの蕎麦でおもてなしをする方も増えています。
そこでは、素材であるそばの実の産地や、そばの花の清楚な美しさ、香りなどを語らい、実際にそばの実を碾いて、打って、ゆで揚げ、調理してさしあげます。
お客様は石臼や本格的な手の込んだ手法に驚きとともに舌鼓をして、改めてその真心のこもったもてなしに感謝されるでしょう。
真心と大切な時間を掛けたとき、そこには客人の喜びがあり、客人の喜びはそのまま主人の至福の時でもあります。
このもてなす側の拘りは、趣味の世界へと話を広げ、お互いの団欒のときを一層楽しく味わい深いものにしてくれるものなのです。
ささやかでありながら奥の深い趣味「蕎麦打ち」、充実した一日を体験したい方には是非お奨めします。