作務衣進化論(2)

常に新しいスタイルの確立を求めて・・・。
伝統芸術を着る会が提唱する作務衣の基本である、素材は綿、染めは藍という形は、今や毎日の暮らしの中で自由に着こなす普段着として幅広く認識され、愛用される方が増幅し、静かなブームとさえなっている感があります。
そこへ加えて、“新・作務衣”の登場により、作務衣の世界が一段と豊かなものになることは間違いありません。
しかし、伝統芸術を着る会では、それ以前から、あくなき挑戦を続け、新たなるスタイルの確立を求め続けていました。
例えばそれは「袴アンサンブル」と呼ばれる新様式。
これは、作務衣に袴を合わせ、それまでにない野趣あふれる凛々しさと、個性的なフォーマル感を愉しんでもらおうという新スタイルで、今ではパーティーへ参加する際に着るなどTPOも多様化し、定番化しているとのこと。
また昔ながらの素朴な手刺子と正藍染を融合させ、すべてが手仕事と云う贅沢な過程を経て、現代風のデザインで仕立てた高級感あふれる希少価値の高い作品を登場させるなど、その手法は、いわば自由自在な温故知新。
それは逆に云えば、それだけご愛用者の方々の目が肥え、豊かになったことへの対応の如実なあらわれと云えるでしょう。
新しい時代の到来と共に産声を挙げた、古き佳き素朴さの中にも“豊潤に香り立つ新しい粋”を放つ作務衣の資格なのかもしれません。
【写真】
・次世代へ羽ばたく新・作務衣。陣羽織風の個性的で凛々しい羽織が特徴の一着です。
・フォーマルも、より個性的に。作務衣と袴を合わせた新様式、袴アンサンブル。
・手刺子、正藍染めで、手仕事。月産30着という希少な品。

作務衣進化論(1)

時代が変わる。作務衣も変わる。“新感覚の作務衣”、続々登場!
高い精神性、丈夫で合理的、普段着としての優秀さ・・・。作務衣に与えられたさまざまな評価と価値観、定義も、基本は守られながらも、時代と共に変わろうとしています。
「基本を見据えながらも、作務衣も現代の暮らしに対応し日々進化しなければならない」という、伝統芸術を着る会の信条が生み出した多様な作品はこの15年で作務衣に対する社会の認識を大きく変えましたが、しかしそれはまだ序章に過ぎませんでした。
なぜなら今年早々、次世代を担うというテーマももとに創られた作務衣、“新・作務衣”という作品が登場したからです。素材・仕立て・染めの水準が抜群に抜き出ていることはもちろんのこと、その特徴は見栄えを重視した「粋な意匠」。
それというのも、作務衣の復刻が始まり、世に広まり出した頃、作務衣選びの基準はいわば「質実剛健」だったのですが、今はそれに加え、お洒落着という観点から作務衣を選ぶ方が実に増えたからだそうです。
【写真】
・上着丈は通常より長めに仕立てています。
・中庸の美の上品な彩りが実にいい。グレーと茶、黒という3色の糸を用いた、上品さの中にも凛とした印象を与える彩りがたまらない。
・左右ポケット付。
・袴の利点を採用したズボン。適度な引き締め効果、シルエットを美しく見せる効果など・・・袴の持つ利点が随所に活かされた新発想のズボンです。
・特別仕様の内タックが美しさを創る。着用感にゆとりをもたらすと共に、ピシッと流れるラインが美しさを生み出します

匠、引退。有終の美を飾る。(3)

「段染」と「紋型織」の提案に興奮は高まる。
それからしばらくして入った一報に、スタッフはざわめきたちました。
「あのサ、今度の作務衣、段染めの糸を使って紋型織りで仕立ててみたんだけど」
“段染め”とは藍を用いてかせ糸を薄い部分と濃い部分に染め上げる手法。濃淡の出し具合が非常に難しく、仕上がりの織りを頭の中でしっかりと想定しなければできないという、まさに経験豊かな職人中の職人にこそ可能な染め。
しかも、その糸を、明治初期にヨーロッパより伝わり、平織、綾織、飛綾織の三つの織りの各々の良さがひとつの妙を生み出し。実に味わい深い表情を醸し出すといわれる”紋型織り”で仕立てるというのですから、スタッフの興奮も当然至極。
ところが、騒然とするスタッフに秋元さんは追い討ちをかけるようにこう言ったのです。
「それからサ、もう一着、正絹を藍で染めたモノを創ろうと思うんだ」。
絹に藍を用いる――初の試みが匠の手で実現。
しかも、「正絹を藍で染めるだけではつまらない。他の染液を加えて風情のある色を出したいんだ」とのこと。
その微妙な彩りを創るために、染めの第一段階で刈安を加え正絹を黄に染め、その上に藍を重ねて染め上げる独特の手法を採るそうで、名付けて”二藍(ふたあい)”。染め上がれば、青とも緑ともつかぬ、えも言われぬ独特の彩りになるとのこと。
秋元さんが採用しようという手法は、どれも初の試み。そしてついに完成した作務衣は、匠の集大成にふさわしい、貴重価値の高い逸品となりました。
それを今回、当カタログで紹介できることに、伝統芸術を提供し続ける私どもとして深い誇りを覚えると共に、偉大な金字塔を築いた秋元さんに惜しみない拍手を贈りたいと思います。

匠、引退。有終の美を飾る。(2)

作務衣の立役者から突然の引退話が…
その名匠とは、武州にその人ありと言われ、数々の伝説的名作を生んだ、あの秋元一二さん。引退して、これからは後進に未知を譲り、その育成に努めたいという、まさに寝耳に水の打診を受けたのが約半年前。
しかし、私どもの独創的な作務衣は秋元さんという匠がいたからこそできたもの。引退なんてとんでもない、と大慌てで仕事場へ駆けつけ説得したのですが、作務衣創り同様、その決意も頑固一徹。残念ながら、しぶしぶ引退話を受け入れるしかありませんでした。
これもまた、秋元さんの次なる実りへの人生の種蒔きなのだとは思いつつも、一抹の寂しさは拭えません。それほど巨匠の存在は大きなものだったのです。
“藍は愛なり”究極の逸品創り始まる。
しかし首をうなだれてばかりでは実りもなし。ここは一番、引退の花道を飾るにふさわしい、独創豊かな作務衣を創ってもらおうということに相成りました。
秋元さんといえば藍一筋。その匠の仕事ぶりは周知の通り。「藍を扱うにはサ、愛が必要なんだ。自然のモノってすごく手がかかるだろ。愛情がなければ納得の染めはできないんだヨ」。その哲学のなせる技か、秋元さんの藍の作務衣は女性ファンも実に多く、どれほどのたおやかなため息が流れたことか。
だからこそ、最後の仕事となれば、どれほど手間と代価がかかっても構わない。ここはひとつ、ファン待望の究極の藍の作務衣創りに挑戦していただきたいとの私どもの依頼に、「いいねぇ、久々に燃えるよ」と快諾の秋元さん。かくして、匠の技の劇的な創造が始まりました。

匠、引退。有終の美を飾る。(1)

季節のはざまに暮る、次なる実りへの思い。
ある地方の豪農に代々言い伝えられている訓戒をひとつ。
『夢のような収穫を謳歌するには、土づくりと種蒔きに、現実の汗の大半を注ぐべし』。
春夏秋冬、季節ごとの大いなる実りには、そのはざまにこそしかるべきものがあると諭した先人の言葉には実に深く身にしみいる含蓄があります。
四季のただなかに生の喜びを見つけるのは当然しごく。しかし、それと共に、移ろい行く季節のはざまには、四季という自然の恵みを得た私たち日本人だけが見つけ、味わうことのできる、風雅、活力、趣が脈々と流れ続けているのです。
 
人生もまたしかり。移ろいつつ事を成す。
その季節の移ろいに含まれた趣は、人の生き方にも相通じるもの。例えば、職人が創り出す作務衣が四季の華であるとするならば、その人の経験と休みない練磨、後進の指導や育成は、いわば種蒔きの時期。
そんな道を経てこそ、四季の作務衣という大輪を咲かせることができるのですから。
そして今回、移ろう季節の例えのごとく、ある名職人の引退を、会員の皆様にお知らせしなければならなくなりました。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(3)

寝せ込みから100日、すくもが巣立つ。
11月に入っても「切り返し」の作業が丁寧に続けられ、合計で22~23回位の時点までが、すくもの仕上がりの目処とされます。
そして12月。寝せ込みから数えて約100日で、ようやくすくもは仕上がります。
仕上がったすくもは、家号の印を押した「叺(かます)」に一俵あたり15貫(56.25キロ)を入れ、縄で縛り、全国の紺屋に向けて出荷されます。
こうして巣立ったすくもは、紺屋で可溶化され、阿波の藍染めとして職人だちの手により染め上げられ、多くの人々を魅了してゆくのです。
職人のすくもにかける愛情がいい藍を育む。自然と人がしっかりと見つめあう瞬間だ。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(2)

自然と人の技に育まれる、阿波藍の生涯。
3月上旬。藍の種蒔きは大安の日を選んで行われます。種の大きさは約2ミリ。この小さな粒に願いを込めて、蒔き終えた後は、お神酒を奉り一年の豊作を祈願します。
6月下旬から7月上旬。梅雨が明けてから藍葉を刈り取ります。はじめての刈り取りを「一番刈り」といい、昔は刃渡り18センチもの大型の鎌「藍刈り鎌」を用いて手作業で行われていたそうです。
9月上旬。大安の日を選んで、その年の「すくも」造りが始められます。まず、「寝床(ねとこ)」と呼ばれるすぐもの製造場所に一番刈りの葉を入れます。これがすくもの製造の第一歩で、「寝せ込み」と呼ばれるもの。
その後、5日毎に水を打ち、「切り返し」という混ぜ作業を13回ほど繰り返します。これは長年の経験を要するもので、ベテランの「水師(みずし)」と呼ばれる職人が担当します。
徳島の地に南方からツバメが帰ってくる時期に種を蒔く。
一ヶ月後、2センチ四方に2~3本が残るように間引く。
定植された苗は太陽の光と恵みを受け、すくすく育つ。
藍葉は「頭巾」と呼ばれる専用の保存袋に収められ、保管される。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(1)

「ジャパン・ブルー」として世界に知られる日本の藍。中でも希少価値で知られる阿波の藍の「すくも」作りを辿ってみると…。
阿波藍の起源は不明ですが、西暦の900年頃にはすでに藍の栽培を裏付ける記録が、ない内記寮に「阿波国の藍を以って最勝とする」とあります。これを見ても、藍が相当古くから人々の間で愛されていたことが分かります。
産業としての起こりは鎌倉時代で、藍が特産物として他国に大量に積み出された記録が残っているそうです。
最も栄えたのは江戸時代で、徳島藩の藍推奨策のもとに阿波の藍は全国を席巻し、藍大尽(あいだいじん)と呼ばれる富豪まで生み出すほどの人気を誇っていました。
その後、明治末期には科学染料の輸入と共に衰退しましたが、今日においては希少価値の高い伝統産業として注目を集めるのと同時に、天然藍に魅せられた人々によって、ファッション用品はもちろん、藍の特徴をモチーフにした様々な商品開発が行われています。
また、藍独特の方向は持続性があり、衣類などの虫除け、消臭作用などの薬用効果があると言われ、その特性が現代人の抗菌感覚にマッチしたのか、最近では若い人たちの間でも藍染のファッションが目立つようになりました。
阿波藍も一時期は絶滅寸前という危機に陥ったこともありましたが、時代との接点もあり、今では阿波藍と言えば高級藍染の代名詞ともなっています。

青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(2)

絹もいいけど、綿でやりたい。それもとびきりの素材で…。
タテ糸を正藍染の雨絣にて染め上げ、ヨコ糸を手紡ぎの糸と藍糸とを撚り合わせて織った紬織物――これが栄一翁をはじめ武州の豪農たちが好んで愛用した<青淵紬>である。
「絹でやるのかい?作務衣開発10周年記念なら、僕は綿でやりたいな。それも、とびきりの綿でね…」と石塚久雄さんからの提案。全員異論なし。10年もチームを組んでいるとこのへんのことはよく分かっている。
というわけで素材は<トルファン綿>を使うこととなった。
トルファンとは、中国新疆ウイグル地区シルクロード天山南路の東北部の地名である。この地で得られる綿糸は、毛足が非常に長く、シルクに近い艶があり、天然綿の宝石といわれている。その性質を利用して、超極細糸が紡がれる。しかし、生産量は極く微量。その意味からも、絹に勝るとも劣らぬ素材といえるだろう。
トルファンを染められる――と、藍染師秋元一二さんがワクワクしている。石塚さんの頭の中は、もう紬織りのことでいっぱい。創織作家としての好奇心がムクムクと頭をもたげてきている。渓水さんはカメに付きっきり。
ここまでくればもう大丈夫。余計な口出しはしない方がいい。今回の作務衣づくりのコンセプトは十分に伝わっているから、後は彼らの技の冴えを見せてもらうだけである。

武州の職人集団「伝統工芸士」の認定

<伝統工芸士>の公的認定がおなじみ武州の職人チームに!
本人たちは望まなくとも、その実力は世に知れます。おなじみ武州の職人集団に「伝統工芸士」の認定が成されました。
代表して藍建師の青木渓水さんが受賞。95年1月、青木渓水氏の「伝統工芸士」の認定を記念した受賞パーティーが関係者多数の参列を得て盛大に行われました。
今さら…という感じもしますが、やはり公的認定は当会としても嬉しい限りです。