カタカナの作務衣があるわけ

当会の作務衣には、いわゆる横文字といわれるカタカナ表記を持つものも多くあります。
デニム、夏のサマーウール、秋のコーデュロイ、何やら洋装ファッション誌の趣き。
ところが、これらのすべてがヒットの連発なのです。
私どもとしては、無理やりにこの横文字素材を集めたわけではありません。
数多くの試作生地の中から、季節にふさわしい、作務衣にふさわしいと判断したものが、たまたま横文字素材だったのです。
それはまさに、現在の洋装ファッションの流行とピタリと一致しています。
このことは、今や作務衣は定着どころか、洋服やカジュアルウェアなどと同じポジションのように、広くその良さが受け入れられているという以外に考えられないのです。
重ねて申し上げますが、私どもは、この素材でこの色を――と決めて職人さんにお願いするケース以外は、まず試作生地を素材名など知らされずに、目と手で審査いたします。
そして、どれが最も新作作務衣のテーマにふさわしいのかと、意見をまとめて生地が決まります。
当会以外では考えも及ばないような独創的な作務衣は、古きを再現し、新しきを探る――という当会の理念でもあるのです。

夏の装いの代表・麻

熱を発散し、汗を吸う。天然素材の力と魅力。
夏の装いの生地素材として、常に上位に挙がるのが”麻”。
自然の恵みそのままのシャリッとした爽快な肌触り、身体の動きなどに合わせて出来る適度なシワ具合など、その魅力は昔から今に至るまで、実に多くの人々をとりこにしています。
麻は、クワ科の一年草「麻」から製した繊維や織物です。茎の皮から繊維をとり、麻糸が作られます。麻は中央アジア原産で、熱帯から温帯にかけて栽培されています。また、種子からは油がとれるなど、生活に欠かせないものでした。
植物学上では五十種類もあると云われる麻ですが、装いの素材として用いられるのは限られており、「亜麻(あま)」と「苧麻(ちょま)」のみ。
そのうち、夏着尺の最高峰として賞賛される上布(じょうふ)に用いられるのは苧麻の方です。
麻の繊維にはストローのような通気口があり、身体の熱を発散させ、同時に汗を吸い取る動きをします。
さらりとした肌触りを創る天然のこの作用力が、高温多湿な日本の夏の衣料素材として最適ということもあり、麻はこの季節になると様々な意匠となり、人々を愉しませてくれます。
琵琶湖の自然と伝統を織りなす芸術品。七百年の歴史を誇る「近江上布」
「近江上布」の発祥は、鎌倉時代といいます。
琵琶湖を源とする愛知川(えちがわ)の豊かな水と湿度が、この地の麻織物を全国的に有名にしていきました。
特に、苧麻(ちょま)から手で紡いだ上質の糸を平織りにする麻織物――すなわち「上布(じょうふ)」の産地としては、現在でも越後や宮古などと並び五本の指に入ると云われています。
「上布」とは、麻を使った上等な平織りの生地のこと。いにしえから、上質な麻を使った素材は重宝され、高級素材の代名詞でもあり、太古の時代には生地のグレードで「上布~中布~下布」と大別されていました。
また、織り上がった反物に、職人の手によってしわ付け加工をする「しぼつけ」技法は、全国に名を馳せています。

秋葉ちぢみの里を訪れて(2)

新たなる「ちぢみ」を求めて越後へ
そんなスタッフのもとへ朗報が届いたのが、今年の初め。
有名な「ちぢみ」の里である近江と双璧をなす新潟は小千谷の近くに、先取気鋭の名称がいると言うのです。
取るものもとりあえず、スタッフは新潟県は板尾の地に降り立ちました。
出迎えてくれた名匠の名は、島昇さん。
鼻息も荒いスタッフがぶつける作務衣に対する思い入れを柔和な笑みで聞きながら、島さんはやがて「分かりました。やってみましょう」と快諾の一言。
いにしえの伝統を現代に普及させたいという両者の思想が一体となった瞬間でした。
伝統と先進が生む「秋葉ちぢみ」とは?
小千谷は世に名高い「ちぢみ」の里のひとつですが、その品に勝るとも劣らないとの高い評価を近年得ているのが、板尾の「秋葉ちぢみ」。
ちなみにその名は上杉謙信由来の秋葉神社にちなんで名づけられた、歴史的に由緒あるものとか。
いやはや不勉強でしたと頭をかくスタッフに、島さんは「その伝統をより広めるために、私、コンピュータも使っているんですわ」と意外な一言。
伝統の技術を網羅した品だと、どうしても価格が割高になってしまう。
そこでコンピュータを駆使した最新技術を導入すれば、伝統の味わいと品質を損なわずに、しかも皆様の声にお応えした価格の品を生み出すことができる。
それにより、もっと大勢の人々に「秋葉ちぢみ」の素晴らしさを堪能してもらいたいのです、という島さんの話は、伝統と先進の融合による進化を目指す、当会の作務衣に対する志の一端とまさに同じもの。
創立15周年にのぞむ当会の気概と、板尾の地から温故知新の叡智を秘めた「秋葉ちぢみ」を発信せんと意気込む島さんの技とが融合した、創立15周年特別企画の「秋葉ちぢみ」作務衣。
夏を席巻しそうな勢いを秘めて、今堂々のお披露目と相成りました。

秋葉ちぢみの里を訪れて(1)

先人の叡智が生んだ夏のための技
ややもすれば、その暑さにうなだれがちになる高温多湿な日本の夏。
しかしながらそれは、祭り、夜店、花火など、一年中で最も日本人としてさまざまな情緒を堪能できる季節でもあります。だからこそ先人たちは、夏の風物詩を心地よく楽しまんと、装いにも多彩な工夫を凝らしてきました。
その優れた発想のひとつが、肌との接触面を少なくすることで涼感を得ることのできる「ちぢみ」と呼ばれる技法でした。
「ちぢみ」を採用した当会の代表的な夏の作品の一つに近江縮作務衣がありますが、この時期になると引く手あまたの人気ぶりになることを見ても、先人の叡智工夫は時を越えた素晴らしいものだと再認識せざるをえません。
しかしながら、さすがに審美眼を磨くことに長けた会員の方々、「『作務衣の専門館』と呼ばれるならば、現状に満足せず、さらなる優れた『ちぢみ』の新作を追及せよ」とのお言葉しきり。
もちろん当会としても、以前から新しい「ちぢみ」の研究に勤しんではいたのですが、折りしも今年は当会創立15周年。会員の方々からのお言葉に加え、「ちぢみ」の新作を生むための焦りは増すばかり…。

近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(3)

近江商人たちは、天秤に郷土の特産品を積んで諸国を行商した。
八幡商人は、麻織物・蚊帳・畳表。五個荘商人は、野洲晒(やすさらし)・高宮布・編笠。日野商人は、日野椀・日野きれ・薬などなど…。
なかでも、八幡商人が行商した麻織物は、鎌倉時代から愛知川町・秦荘町・五個荘町・多賀町などで織り続けられてきたもので、「近江麻ちぢみ」として親しまれてきた。
特に夏場は、麻独特のひんやりとした感触が汗をかいてもベトつかない点が、諸国の人々に大変よろこばれたという。
近江の商人たちは、故郷の産物をもって諸国に行商に行き、帰りには行く先々の産物を仕入れ、帰りの道中で商いをしながら故郷に戻った。
その工程には、全く無駄がなかったと言われている。

近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(2)

江戸末期から明治初期にかけて活躍した近江商人のルーツは、織田・豊臣時代にまでさかのぼる。
天下統一をめざした織田信長は、商業の振興を図るため、誰でも自由に商売のできる「楽市楽座」を定めた。
近江八幡と五個荘のほぼ中間に位置する安土に築城した信長は、安土城下にも楽市の制を定めたため、各地の商人が集まり、商業が盛んになった。
しかし、本能寺の変で信長が倒れるや、安土の商人たちは、新たに豊臣秀吉が築城した近江八幡に移った。秀次も商業振興に力を注いだため、近江八幡は自由商業都市として大いに栄えた。
しかし、それもつかの間、秀次が秀吉の怒りをかって天正19年(1591年)清洲に移封され、代わって入城した京極高次もわずか5年で大津へ移り、近江八幡は城下町としての機能を失ってしまった。
残された商人たちは、近江八幡だけでは商売にならず、やむなく天秤棒をかついで諸国へ行商に旅立つこととなった。これが、いわゆる「近江商人」の起こりである。

近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(1)

昔の人々は、琵琶湖のことを「近江の海」と呼んだ。モヤのかかった日は対岸が見えず、まるで海を見ているような錯覚におそわれたからだ。
織田信長が天下統一を夢みて城を築いた「安土」は、この豊かな大湖・琵琶湖の湖東地方にある。そして、この湖東地方は、「近江麻ちぢみ」などの特産品を諸国に売り歩いた近江商人発祥の地でもあった。
信長こそ、「近江麻ちぢみ」を諸国に広めた陰の功労者だ。
万葉の時代から我々日本人に親しまれ、あまたの詩歌にうたわれてきた琵琶湖。楽器の琵琶にその形が似ていることから、その名がつけられたという。
この湖では、今も昔と変わらない定置漁法「魞網(とりあみ)」は、琵琶湖が発祥だといわれている。
ホンモロコ・フナをはじめとする魚類、瀬田シジミなどの貝類が、現在も琵琶湖の特産として名高い。中でもフナは、昔の人の生活の知恵から生まれた「鮒ずし」に姿を変えて、最も有名である。
また、琵琶湖の湖東地方は、近江商人の発祥の地でもある。
とくに、近江八幡・五個荘・日野には、現在も白壁と堀を周囲にめぐらし、白亜の土蔵をもつ豪壮な家屋敷が建ち並び、往時の近江商人の財力と暮らしぶりをしのばせる。

透かしの美学の準主役・肌着について

「透かしの美学」を取り上げるにあたって、その美学をさらに活かすポイントをご紹介いたします。
透け感を活かすには“いい肌着を合わせるべし”というのが洒落者の鉄則。「透かし」の粋にて、着る人も見る人も涼を楽しめる紗が初夏からの主役ならば、重ね着にて透かして見える肌着はいわば準主役。
だからこそ、よりいっそうの気遣いとこだわりで選び、袖を通したいものです。
衣装に凝ることはもちろんですが、折りしも汗の季節、素材にも手は抜けないことは言うまでもありません。
お勧めは、夏の素材の代名詞“麻”の肌着です。
本麻ならではの爽快なシャリ感、優れた通気性、そして重ね着した紗を透かして放つ潔いまでの白の清々しさは、この季節ならではの、粋な着こなしの楽しみと言えましょう。

紗つむぎ作務衣開発秘話(2)

不均一な糸づくりから、織りまで、昔ながらに…
どんな着物だったのだろう?研究心と好奇心が半分ずつ。
あれこれ調べてみた結果、答えをくれたのは、絹織物の産地として有名な桐生(きりゅう)からでした。
紗のような透明感とシャリ感、それに相当な着道楽だったことを考えると、多分それは「紗紬(しゃつむぎ)」であろうとのこと。
この紗紬は、紗という名がついていますが、紗の組織ではなく、極細の駒糸(各々の撚り加減が違う強撚糸)で平織りした織物。
紬(繭を手つむぎした太さが不均一な生糸)が生み出す独特のシャリ感と透明感を持ち、昔から盛夏向きの織物として愛用されていました。
当時でも高級品、現在ではちょっと手が出ないほどの値がつくといいます。
しかし、時の運というのはあるものです。
と申しますのは、ちょうど桐生でもこの紗紬の良さをもっと多くの人にしってもらいたい――と考えていた矢先だと言います。
話はトントン拍子に進み、即、夏の作務衣への導入が決定となりました。

紗つむぎ作務衣開発秘話(1)

一枚のお便りから生まれた新作。
「五十の声を聞こうかという頃になって、やっと和装の良さが分かりかけてきました」
こんな会員の方からのお便りが目にとまりました。要約すると、次のような内容でした。
「作務衣や和服に興味がわき出した途端、何かにつけて子供の頃のある情景が頭に浮かんでくるのです。
それは、カンカン照りの夏の昼下がり、私の手を引いて歩くおじいちゃんの着物すがたなのです。他の部分はボヤけているのに、おじいちゃんの姿だけがくっきり…幼心にも、それは鮮烈に映ったのでしょう。
今思うと、その着物は紗のように透けていて、触るとザラッとした感じがあったように覚えています。着道楽だったおじいちゃんには叶わないでしょうが、あの着物すがたに一歩でも近づきたいと思っています…」
そして最後に「私の昔話が作務衣づくりのお役に立てれば幸いです」と結んでありました。