作務衣だけではもったいない。野袴も同時に…!
織師、石塚久雄が工場に閉じこもって三週間。いよいよ、藍の新しい彩りが姿を現しました。
「黒を見せては駄目。しかし、全体に黒の味わいが行き渡らなければ駄目。いかに黒を潜ませるかに苦労しましたよ。」
石塚さんはこれだけしか言いません。
完成した色に、全員、しばし無言。正藍染ならではの絣もきちんと生きています。しかし、単なる藍でもありません。それは、まさに「藍墨」という以外にありません。更に渋く、より端麗。さらに一途なまでに剛毅な藍の彩り。
媒染のスペシャリストが参加してくれた事もあって、新しい藍の旅立ちは想像以上の出来栄え。作務衣だけではもったいないとの声もあり、機会があれば…と考えてみた「野袴(のばかま)」にも、この藍墨を採り入れてご紹介することとなりました。
「吉岡流憲法染」
憲法(けんぽう)とは、室町末期、将軍家の兵法師範をつとめた吉岡家の世襲的な名称。兵法と共に小太刀の妙術をもって剣法道場も開き、俗に吉岡流と呼ばれる。
宮本武蔵をして“京に天下の兵法者あり”と言わしめた程の栄華を誇ったが、小説や映画では宮本武蔵の敵役として扱われている。実際は武蔵との対決も“勝負を分たず”と言われている。
兵法、剣法に長けると同時に風流にも通じた名門武家であったとされる。
後に、大阪冬の陣に参戦。豊臣方に組したが、その敗戦を恥じて兵法を捨て、西洞院四条に遷居し、門人李三官から伝えられた黒茶染の法をもって染物業に転じる。
憲法染、吉岡染などと呼ばれ名声を博すが、特に独特の黒染めは、明暦・万治の頃に大流行した。梅の樹皮染・藍染と鉄媒染がこの“憲法黒”の特徴で、いかにも武人好みの色合いとして、姿を消した現在でも評価は高く、復活を望む声も多い。
藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)
梅染めの茶と藍が奥深い黒を生み出す。
正藍染については問題なし。問題は憲法黒の再現です。
元々の憲法黒は、梅の樹皮だけで染めていたと言われますが、江戸時代に入ってからは、まず藍で下染めしてから梅で染めるようになったとのこと。今回は、あくまで藍の開発ですから、後者を採ります。
名前は聞いたことがあっても実際に染めるのは初めての秋元さん。クチは北さん、ウデは秋さんの二人三脚で試し染めが続きます。
下の写真のように、
1、正藍染による下染め
2、梅の枝の樹皮から採った染液による染め
3、鉄媒染
という工程を幾度も繰り返し、納得のいく“黒”に染め上げていくのです。
ポイントは、やはり3の鉄媒染。クギや鉄片などで作った媒染液が黒の味わいを決めるため、北さんも力が入ります。1~3の工程の繰り返しを調整しながら約一ヶ月。さすが鉄媒染の第一人者である博士こと北一男さん。みごとな吉岡の黒を再現してくれました。
「それにしてもいい黒だね。単純な黒じゃないもんね。梅染めの茶と藍が交じって実に奥深い黒だよ」と北さん自身が感動する程。さあ、この憲法黒をヨコ糸に使い、正藍染のタテ糸と交わらした時、どんな新しい藍の彩りが出現するのでしょうか。
1、まず正藍染にて下染めを施す。この糸を…
2、梅の樹皮染液で染め、藍に茶色をしのばせてゆく。
3、鉄媒染液に漬け黒に仕上げる。1~3を何回も繰り返す。
◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)」に続く…
藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)
「吉岡の黒をやるのかい?そりゃいいね」と、頼もしい助っ人がひと肌ぬいでくれました。
「新作は藍色でいきたい…」と切り出した時の二人の表情は見ものでした。二年続けて「卯月」「三し織」という大ヒットを連発した染の秋元、織の石塚という武州きっての職人にとって、“何を今さら…”と怪訝な顔になるのは無理からぬところ。いや、実はかくかくじかじか…新しい藍の可能性を求めたいとの意向を伝えると、やっと納得。それも、黒を採り入れた藍染をお願いしたい――と話が進む頃には身を乗り出してくる程。そして、その黒は…とこちらが言い出す前に「吉岡だな…」とズバリ。さすがに実力派のお二人。分かってくれています。
憲法黒のポイントは鉄媒煎にあり!
こうして、武州正藍染と吉岡流憲法染の結婚話は意を挟む者もなく決定したのですが、ベテラン藍染師の秋元一二さんだけが浮かぬ顔です。
「いやね、吉岡の黒やるんなら媒染がポイントになるわな…ワシには荷が重いよ」とのこと。そこへ石塚さんから間の良い一言。
「博士がいる!博士に助(す)けてもらえばいいじゃないか、ウン」おう、博士か…秋元さんの顔もパッとほころびました。
職人仲間に“博士”と呼ばれる人とは、北一男さん。プロフィールをご覧頂けば、呼び名の由来もよく分かります。
「いやあ、吉岡の黒をやると聞いて、ワクワクしましたよ。こりゃ、俺の出番だなってね。喜んで協力させてもらいますよ」と大ノリの北さん。鉄媒染の第一人者がスタッフに加わり、いよいよ体制は整いました。
北一男さん
昭和9年生まれ。群馬大学工学部入学、地球科学を専攻。卒業後、民間企業の研究部にて酸化鉄(弁柄)、磁性材料(フェライト)の研究に没頭。植物染め、藍染に興味を持ち、武州のコンサルタントとして関与。鉄媒染の第一人者として今回“憲法黒”の再現にスタッフとして参加。新しく更なる藍づくりへの道を開いた最大の功労者である。
◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)」に続く…
藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(1)
藍を極めたからこそ出来る、更なる奥深さ――新しき藍への第一歩は、吉岡流憲法染と共に。
はるかな昔より、それぞれの時代の人々に愛されながら“藍”は悠久の旅を続けてきました。そして、代を重ねながら研鑽を怠らなかった染師たちの努力により、藍は、その濃淡は言うに及ばず、さまざまな柄や模様を生み出す技法に至るまで、今や一つの極まりを見せたといっても過言ではないでしょう。
その証としては、これまで私ども<伝統芸術を着る会>が、復元、開発を重ねてきた数多くの藍染作務衣が、藍染の何たるかをお分かり頂ける会員の皆様に快く受け入れて頂いていることでよく分かります。
藍の端麗、四方に輝きを放ち、憲法黒の剛毅、一途に潜む…これ、男子本懐の彩りにて、藍墨と称す。
しかし、これで藍の旅が唐天竺(からてんじく)まで達したとは思いたくありません。藍には、それを極めたところから始まる、更なる奥深さや可能性が秘められていると信じるためです。
藍の更なる求道の旅立ち。
その第一歩として、当会はここにひとつの彩りをご呈示したいと思います。単独の染めとしては頂を見た藍染の次なるステップは、他の染め技法との交わりにより生まれる――との判断から誕生した一彩。
相手として選んだのは、天下の兵法者の手により完成した「吉岡流憲法染」。特に、その黒染めの彩りは剛毅にして端正。もののふの心を現した銘彩です。
この吉岡の黒を再現、武州正藍染と合わせました。まさに墨交の交わりから生じた「藍墨」の出来栄えやいかに。じっくりとご照覧下さい。
◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)」に続く…
正藍竜巻絞り染作務衣 周防灘(すおうなだ)
武州ならではの伝統染め技法「正藍竜巻絞り染」。微妙で計算できない縞柄が楽しめる作務衣です。
注目は布地。織りはオックスフォード織り。聞きなれないかもしれませんが、分かりやすく言えば洋服地の織り方とお考えください。凹凸感のある上品な織り上がり。縮ませるだけ縮ませてありますので、ご家庭でも丸洗いすることができるのも使い勝手がいい一着です。
もう一つの特徴は、総裏付。少々の寒さでも大丈夫。まして、額に快い汗などにじませながらの仕事にはうってつけ。また、肌着やTシャツと合わせても総裏付ですからすべりが良く、着心地の良さは万人の認めるところです。
年末仕事におすすめしていますが、染めは「正藍染」、織りは「オックスフォード織り」、しかも総裏付なのですから、寒い季節のお洒落作務衣としてのレベルも高い一着です。
竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 夕凪
陽射しが布地の透間を駆け抜けてゆく。水浅葱と呼ばれる淡青色が涼しげ。濃き緑の中をそぞろ歩けば、時が止まる気分。艶やかで粋な衣が、一陣の涼風を招く。
素材も染めも「潮騒」と同じですが、原反を藍ガメに浸す回数が四回から五回と少ないので、仕上がりの色が、水浅葱(みずあさぎ)というやや浅い藍色です。着心地は「潮騒」と変わりませんが、見た目には、より涼しく感ぜられます。いずれも藍染を代表するふた色です。
「夕凪」も「潮騒」と同様、竜巻絞り染ですから、全く同じ模様のものは出来ません。
「絽」の持つ透明感、気品が、遺憾なく発揮されるお洒落な綿絽作務衣。これもまた、“作務衣通”と呼ばれる方におすすめの一着です。
素材は、染め上がりと肌触りの爽やかさという面から綿100%。織りは五本絽。そして色は、竜巻絞り染という伝統的な技法を用いた正藍染です。
絞り染から生じる独特の藍模様が特徴。濃淡の二種類をご用意しました。淡い方は、4~5回ほど染めた水浅葱(みずあさぎ)という藍色。そして、もう一方は7~10回にわたり染め上げた藍。いずれも藍染を代表するふた色です。
竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 潮騒
絽に織られた綿の心地よい肌ざわり。海を思わせる深い藍に、波が立つような淡い彩りが騒めく藍染模様――。透き通るような気品の中に、季節が踊る。
原反を七回から十回も藍ガメに入れて染め上げてあります。
藍染を代表する色、しかもすべて一枚ずつ手染の絞り染めですから、一見では似た染め上がりですが、全く同じ模様は二つとありません。着心地は独特の風合いがさらりとしていて、軽い感じです。
他人から見ますと、何ともいえぬ気品を漂わせながら、一方では艶っぽいほどの粋さが感じられます。綿ではありますが、そこはかとなく「絽」独特の高級感が伝わってくる、そんな作務衣です。
五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」3
同じ柄はふたつと無い、これが絞り染の楽しさ。
一反12メートルの綿絽の布地を二人がかりでいっぱいに広げます。それをぐるぐるとロープ状に巻いていきます。その様子は、天に駆け上る竜巻のよう。竜巻染めという技法の呼び名もこの光景からきたものです。
絞り上げられ太い縄のようになった綿絽を藍ガメに入れて染めるわけですが、絞られた部分に染めムラができます。
「そう、意図的にムラを作るんだ。濃く染まる部分と淡く染まる部分が模様になる。まあ、同じように絞るからおおよそ同じような柄になるが、どれをとっても、ひとつと同じものはないんだ。だから、染め上がって布地をほどく時は一反ごとにワクワクするよね」
と秋元さん。こんな素人じみたことを言いながら、どれくらい、どこをどう絞ればどんな染め模様ができるかは全てが頭に入っているのです。長年の経験とカン、これが職人の技というもの。スタッフに喚声をあげさせた正藍竜巻絞り染の出来栄えは、まぎれもなくプロの仕事。みごとな伝統染技の復活といえましょう。
念願だった絽の作務衣の開発に大きな花を添えた正藍竜巻絞り染の技法――手ごたえはズシリと重いものがあります。
1、精錬された綿絽の布地一反(12メートル)をしわを寄せながら縄状にぐるぐる巻いていく。この形状から<竜巻絞り染>といわれる。
2、縄状に巻かれた布地を束ね、何回も藍ガメにつけて染める。巻くことにより染めムラができ、それが独特の模様となる。
3、藍ガメから引き上げた時はきれいな緑色。これが空気に触れることにより藍色に変化してゆく。この空気酸化こそ藍染の命である。
4、この繰り返しが藍の濃淡を決める。淡い水浅葱(みずあさぎ)色で4~5回。濃い藍で10~15回ほど染めを重ねていく。
5、仕上げ染めは、全体をムラなく染めるため先端に針を付けた竹ひごに布をほどいて張り染めていく。この工程が、竜巻絞り染の色合いを工夫する。
五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 2
広げた綿絽の反物に鮮やかに広がる藍模様!
秋元一二さん。例の発言の主です。武州藍ひとすじに33年、現在63歳のベテランが、この竜巻絞り染の復活に挑むことになりました。
「話には聞いてたが、私だってやったことがないからな。ま、これまでの経験を生かしてやってみるよ」
と見事に肩の力が抜けています。まわりの人の話だと、
「秋さんなら大丈夫さ。考えるより先にぶつかっていくから。そして、何とかモノにしてしまうから…」
とのこと。何とも頼もしい職人さんのようです。
とはいうものの苦労はあったようです。なにせ半世紀ぶりに伝統技法の復活をやろうというのですから。
「午後三時をまわったら仕事はしないよ。藍の色の判別ができなくなるから…ね」
と徹底した職人気質を見せる秋元さんが、夜遅くまで藍ガメと共に在った――と証言する人もいます。そして或る日…。
「出来たよ。こんなもんかな」
と相変わらずの口調で持参した竜巻絞り染の反物。期待と不安が入り混じった視線に見守られながら広げた反物には、鮮やかな藍模様が展がっていました。
藍染職人 秋元一二
「ムラが出るように絞って染める――何でもないことのようだが最初に考えた人は偉いもんだ。やってて、そう実感したね」
五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 1
「よし、絽で行こう!」
新しい作務衣開発のための企画会議は、全員一致で決定を見ました。絽の作務衣づくりというこのテーマこそ、スタッフのすべてが「いつの日か…」と胸に秘めていたものだったのです。
全員が色めき立ち、準備は着々と進みました。色はやはり藍、それも正藍染がいい。ならば、素材は絹より綿だ。藍の色合いを考えたら五本絽が理想的――という具合に、画期的な絽の作務衣が具体的に形となっていきました。
職人のつぶやきが伝統の技法復活への第一歩に。
いよいよ試作です。この企画を持ち込んだ先は、藍染の里として数々の傑作作務衣を生んでいる武州でした。絽の作務衣と聞いて、それは面白いと快諾。職人魂に火が付いたようです。
しかし…。出来上がった試作品を前に、スタッフ一同浮かぬ顔。何か今ひとつ足りない感じなのです。いつも新しく質の高い作務衣づくりを求める限り、つい欲が深くなってしまったのでしょうか。
そのとき、同席していた職人の口から思わぬ一言がこぼれました。
「タツマキでやってみるか…」
一同エッ?という顔。
説明によると、タツマキとは“竜巻絞り染”という最近では滅多に見られなくなった伝統的な藍染技法ということ。布地を絞って染めるため、色に計算できない濃淡が出て模様になるというのです。
とにかく試し染めをしてみようということになりました。