新たなる「ちぢみ」を求めて越後へ
そんなスタッフのもとへ朗報が届いたのが、今年の初め。
有名な「ちぢみ」の里である近江と双璧をなす新潟は小千谷の近くに、先取気鋭の名称がいると言うのです。
取るものもとりあえず、スタッフは新潟県は板尾の地に降り立ちました。
出迎えてくれた名匠の名は、島昇さん。
鼻息も荒いスタッフがぶつける作務衣に対する思い入れを柔和な笑みで聞きながら、島さんはやがて「分かりました。やってみましょう」と快諾の一言。
いにしえの伝統を現代に普及させたいという両者の思想が一体となった瞬間でした。
伝統と先進が生む「秋葉ちぢみ」とは?
小千谷は世に名高い「ちぢみ」の里のひとつですが、その品に勝るとも劣らないとの高い評価を近年得ているのが、板尾の「秋葉ちぢみ」。
ちなみにその名は上杉謙信由来の秋葉神社にちなんで名づけられた、歴史的に由緒あるものとか。
いやはや不勉強でしたと頭をかくスタッフに、島さんは「その伝統をより広めるために、私、コンピュータも使っているんですわ」と意外な一言。
伝統の技術を網羅した品だと、どうしても価格が割高になってしまう。
そこでコンピュータを駆使した最新技術を導入すれば、伝統の味わいと品質を損なわずに、しかも皆様の声にお応えした価格の品を生み出すことができる。
それにより、もっと大勢の人々に「秋葉ちぢみ」の素晴らしさを堪能してもらいたいのです、という島さんの話は、伝統と先進の融合による進化を目指す、当会の作務衣に対する志の一端とまさに同じもの。
創立15周年にのぞむ当会の気概と、板尾の地から温故知新の叡智を秘めた「秋葉ちぢみ」を発信せんと意気込む島さんの技とが融合した、創立15周年特別企画の「秋葉ちぢみ」作務衣。
夏を席巻しそうな勢いを秘めて、今堂々のお披露目と相成りました。
秋葉ちぢみの里を訪れて(1)
先人の叡智が生んだ夏のための技
ややもすれば、その暑さにうなだれがちになる高温多湿な日本の夏。
しかしながらそれは、祭り、夜店、花火など、一年中で最も日本人としてさまざまな情緒を堪能できる季節でもあります。だからこそ先人たちは、夏の風物詩を心地よく楽しまんと、装いにも多彩な工夫を凝らしてきました。
その優れた発想のひとつが、肌との接触面を少なくすることで涼感を得ることのできる「ちぢみ」と呼ばれる技法でした。
「ちぢみ」を採用した当会の代表的な夏の作品の一つに近江縮作務衣がありますが、この時期になると引く手あまたの人気ぶりになることを見ても、先人の叡智工夫は時を越えた素晴らしいものだと再認識せざるをえません。
しかしながら、さすがに審美眼を磨くことに長けた会員の方々、「『作務衣の専門館』と呼ばれるならば、現状に満足せず、さらなる優れた『ちぢみ』の新作を追及せよ」とのお言葉しきり。
もちろん当会としても、以前から新しい「ちぢみ」の研究に勤しんではいたのですが、折りしも今年は当会創立15周年。会員の方々からのお言葉に加え、「ちぢみ」の新作を生むための焦りは増すばかり…。
近江縮作務衣 グレー
綿と麻、近江縮みの絶妙の調和。独特の織り柄が味わい深い。
独特の織り柄による生地の表情が、陽光に映える清々しい彩りとあいまって、着る方、そして人々の視線に、本麻に勝るとも劣らない涼感を与えてくれます。
四季に応じて衣を替え、その季節に最も適した作務衣をまとっていただき、自然の旬や心の開放感を肌で感じてみて下さい。
近江縮作務衣 絣柄
麻のシャリ感が快い涼を奏でる。
縁台に蚊遣り、ゆかたがけ…懐かしさと共に、最も日本的な情緒が残る夏です。
心身が伸びやかに解放される行動的な季節ですが、いかんせん日本は高温多湿、もっと快適にお洒落に過ごせる作務衣はないものか。
近江縮み作務衣は、そんな考えをもとに、趣豊かな夏をさらに心地よく楽しんでいただくために生まれた一着。
そのため、麻と綿を組み合わせた涼しげな布地を採用し、涼感あふれる「近江縮み」で仕立てました。
日本の夏に近江縮みの作務衣…手放せなくなること請け合いです。
本藍染 近江縮作務衣
麻と綿の織りなす涼感、本藍染の風合い。
ちぢみは、近江四百年の伝統が息吹く手もみの「しぼ」の技法。四百年の伝統を持つ手もみ技法により、“しぼ取り”加工がされていますので、肌との接触面が少なく、べとつき感がありません。
素材は麻45%、綿55%といういかにも夏向けの素材構成です。
通風性にも富んでいて、また、手もみによる加工が麻の硬さを和らげ、シャリッとした感じの心地よい肌ざわりが得られます。
近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(3)
近江商人たちは、天秤に郷土の特産品を積んで諸国を行商した。
八幡商人は、麻織物・蚊帳・畳表。五個荘商人は、野洲晒(やすさらし)・高宮布・編笠。日野商人は、日野椀・日野きれ・薬などなど…。
なかでも、八幡商人が行商した麻織物は、鎌倉時代から愛知川町・秦荘町・五個荘町・多賀町などで織り続けられてきたもので、「近江麻ちぢみ」として親しまれてきた。
特に夏場は、麻独特のひんやりとした感触が汗をかいてもベトつかない点が、諸国の人々に大変よろこばれたという。
近江の商人たちは、故郷の産物をもって諸国に行商に行き、帰りには行く先々の産物を仕入れ、帰りの道中で商いをしながら故郷に戻った。
その工程には、全く無駄がなかったと言われている。
近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(2)
江戸末期から明治初期にかけて活躍した近江商人のルーツは、織田・豊臣時代にまでさかのぼる。
天下統一をめざした織田信長は、商業の振興を図るため、誰でも自由に商売のできる「楽市楽座」を定めた。
近江八幡と五個荘のほぼ中間に位置する安土に築城した信長は、安土城下にも楽市の制を定めたため、各地の商人が集まり、商業が盛んになった。
しかし、本能寺の変で信長が倒れるや、安土の商人たちは、新たに豊臣秀吉が築城した近江八幡に移った。秀次も商業振興に力を注いだため、近江八幡は自由商業都市として大いに栄えた。
しかし、それもつかの間、秀次が秀吉の怒りをかって天正19年(1591年)清洲に移封され、代わって入城した京極高次もわずか5年で大津へ移り、近江八幡は城下町としての機能を失ってしまった。
残された商人たちは、近江八幡だけでは商売にならず、やむなく天秤棒をかついで諸国へ行商に旅立つこととなった。これが、いわゆる「近江商人」の起こりである。
近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(1)
昔の人々は、琵琶湖のことを「近江の海」と呼んだ。モヤのかかった日は対岸が見えず、まるで海を見ているような錯覚におそわれたからだ。
織田信長が天下統一を夢みて城を築いた「安土」は、この豊かな大湖・琵琶湖の湖東地方にある。そして、この湖東地方は、「近江麻ちぢみ」などの特産品を諸国に売り歩いた近江商人発祥の地でもあった。
信長こそ、「近江麻ちぢみ」を諸国に広めた陰の功労者だ。
万葉の時代から我々日本人に親しまれ、あまたの詩歌にうたわれてきた琵琶湖。楽器の琵琶にその形が似ていることから、その名がつけられたという。
この湖では、今も昔と変わらない定置漁法「魞網(とりあみ)」は、琵琶湖が発祥だといわれている。
ホンモロコ・フナをはじめとする魚類、瀬田シジミなどの貝類が、現在も琵琶湖の特産として名高い。中でもフナは、昔の人の生活の知恵から生まれた「鮒ずし」に姿を変えて、最も有名である。
また、琵琶湖の湖東地方は、近江商人の発祥の地でもある。
とくに、近江八幡・五個荘・日野には、現在も白壁と堀を周囲にめぐらし、白亜の土蔵をもつ豪壮な家屋敷が建ち並び、往時の近江商人の財力と暮らしぶりをしのばせる。
駒絽作務衣 夏風(こまろさむえ なつかぜ)
夏着尺として、古くから大店の旦那衆などが好んで求めた“紗”。 夏姿の究極は絽に尽きると言われるように、静かなる秩序に満ちた透間が生み出す、涼を呼ぶ透明感は、まさにため息もの。
昔から廃れずに伝えられて来ているものには、「やはりいいモノはいい」と人々に思わせる、確固たる魅力と力があります。
こちらも、通が好むといわれる“五本絽”を採用した、魅力あふれる一着です。季節に流されるのではなく、逆に季節を遊ぶという感覚で、心の贅沢をお楽しみ下さい。
縦紗作務衣 霧島(たてしゃさむえ きりしま)
衣替え…というとすぐに思い浮かぶのが6月、10月の年二回。
しかしながら、日本は四季の国。
本来ならば年に四回、衣替えがある方が、その季節の趣をより深く味わえるのではないでしょうか。
それはいわば、季節に強いられるのではなく、逆に季節を先取りしながら、装いを堪能するという贅沢…。
“粋”という言葉は、そんな行為から生まれたのかも知れません。
江戸時代から伝わる縦紗技法を取り入れた新作は、その名の通り、縦に流れる織りで全身すっきり。作務衣姿での立ち姿が一段と凛々しく映えます。