本藍染しばり絹作務衣 桐生(ほんあいぞめしばりぎぬさむえ きりゅう)

桐生が問う。本物とは何か――技冴える傑作誕生!
“しばり絣”と本藍染めが生んだ、思わず触れたくなる生地の表情…。

悠久の歴史、絶え間なき研鑽、伝承され続ける職人技…織物と染めの里として世に名を馳せる桐生。
先取りの気性豊かなその地が生んだ技の結晶を注ぎ込み、圧倒的な存在感と格調の高さを併せ持つ作務衣として完成させたのが、当会自信の「本藍染しばり絹作務衣 桐生」です。
写真をご覧いただければお分かりいただけるように、生地全体に刺し子風の凹凸があり、それが本藍染と見事に融和し、たまらない魅力を醸し出しています。
この微妙かつ豊かな表情を生み出すことができたのは、かせ糸を丹念に手作業でくくり本藍染で仕上げるという職人技である「しばり絣」を採用したため。
この技は、くくりの際に生地の出来上がりを想像しながら、微妙な強弱をつけていくという、まさに経験と感性に真打された職人技でなければ成しえない手の込んだ困難なもの。
だからこそ、出来上がった一着には、満々たる誇りを込めて“桐生”の名が冠されているのです。人に会うなら、迷わずこの一着。堂々とまとっていただきたい自信作です。

桐生の織物――歴史につちかわれた織物の里を訪ねて(2)

工夫と先取の気性から生まれた「桐生織」
桐生は江戸時代から織物都市として発展を見せ、その影響で、堺、京都、近江、名古屋、江戸などの商人、関東、甲信越、能登の職人などが多数行き交い、華やかな桐生文化が形成されてゆきました。
人々の気質は、竹を割ったようなさっぱりとした気性の人が多く、お祭りが大好きでとても陽気。それが先取の精神とあいまって、工夫、改良、発明が盛んとなり、これが桐生の織物の発展の要因のひとつにもなっています。
その創意工夫から生まれた『桐生織』には「お召織」「緯綿織」「経綿織」「風通織」「浮経織」「経絣紋織」「もどり織」という、代表的な7つの技法があり、昭和52年10月、通商産業大臣から伝統的工芸品に認定されています。本誌22ページの右上に掲載されたマーク(伝統証紙)がそのあかし。
認定を受ける条件はなかなか厳しく、

  • 主として日常生活に使われるものであること
  • 主要工程が手造りであること
  • 江戸時代以前からの技術や技法を受け継いでいること
  • 江戸時代以前から使われてきた原材料を使用すること
  • 生産地が桐生市を中心に近接市町村にまたがり、織物の「産地」を形成していること

とされ、長い歴史につちかわれた、真の伝統工芸でなければ受けることができない貴重な織であることが分かります。
絶え間なき技術の研鑽により磨かれ続けた「桐生織」。その存在を前にしたとき、装いとしてまとってみたくなるのは、桐生織りが秘めたドラマの成せる技なのでしょうか。

桐生の織物――歴史につちかわれた織物の里を訪ねて(1)

伝統と進取の気性が時を紡ぐ、桐生。
ところは関東平野の北部。国定忠治で有名な名峰赤城山を仰ぎ、渡良瀬川と桐生川の清流にはさまれた、風光明媚な織物の里、桐生を今回は訪ねてみました。
はるか昔のロマンスから生まれた桐生の織物
桐生と云えば織物産業が盛んで、世に名を馳せる桐生織物が有名ですが、その起源ははっきりとはしていません。一説では、遠く47代淳仁天皇の時代(一二〇〇年前)に遡ると云われ、こんな逸話が伝えられています。
その時代、桐生在郷の人である山田某が、天皇家に仕える白滝姫を恋慕い、これを歌に呼んだことが偶然天皇の目に留まり、やがて白滝姫は山田某に嫁ぐことを許されました。二人は手を取り合って桐生に帰り、やがて養蚕や機織りにあかるかった白滝姫の手ほどきにより、村人たちがこれを修得したのが桐生織物の始まりと云われています。
元中年間(一三八四~一三九二)には産物として他国へ移出するようになり、これが仁多山絹(にたやまきぬ)と呼ばれたものであったとされ、それ以前には新田義貞が生品の森に兵を挙げ、この絹で旗印をつくって鎌倉幕府を滅ぼしたという非常に運命的なドラマが起こっています。
慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が小山にいた軍を急に関ヶ原に返す時、急便を送って旗絹を求めたところ、わずか一日ほどで二千四百疋を集めたとも云われ、江戸時代末期には東洋で最初のマニファクチュア(工場制手工場)の生産形態を確立。
その後ますます、織物の里としての桐生の名は高まり、現在に至っていくのです。

二部式着物(にぶしききもの)

家庭で着物を着る女性が年々減る一方です。その理由としては、“着付けが大変な上に、帯がきゅうくつで長時間着ていられない”という答えが圧倒的なようです。
そこで開発されたのが<二部式着物>。着物が上下にセパレートされていて、下は巻きスカートのように、上はジャケット感覚で着ることができます。これなら、どなたでも着付けの時間は5分とかかりません。ゆったりとした仕立てで、きゅうくつ感はまるでありません。
伝統的な着物の美しさに、着やすい動きやすいという合理性を加えたこの二部式着物なら、普段着の和服として気軽に着ることができるでしょう。ご主人の帰宅を、この二部式着物で三つ指ついてお迎えになれば…ご主人の嬉しさと驚きの入り混じった表情が、目に浮かぶようですね。
ホームパーティーやちょっとした集まりの時に着用すれば、場の視線はすべてあなたのもの。わずか5分で大変身できるこの二部式着物。ぜひ一度お試しを。

武州交織作務衣 浅緑と羽織(ぶしゅうこうしょくさむえ あさみどりとはおり)

タテ糸に幾度も藍がめをくぐらせながら薄く染め上げた正藍染の糸。これに交わるヨコ糸は蘇芳の黄色を採り込んだ草木染の糸。加えて、太さ細さが不均一な藍紺のスラブ糸。
この三糸を交織技法にて織り上げ彩りとする。
そのさじ加減は織り師の腕と感性。
総じて草を思わせる色合いに、さまざまな表情がこぼれ出る――これこそ交織の醍醐味。
織り師のたくらみに五感をゆさぶられ、そのイメージは限りなく広がってゆく…。
羽織の写真もご覧下さい。淡い草色の広がりを、同系の濃い緑がきりりと引き締めています。羽織としては初めて衿にそって彩りを配しました。
作務衣そのものをさらに奥深く印象的にする羽織――おすすめします。

武州交織作務衣開発秘話(3)

微妙で味わい深い彩り、横へのアクセントが新鮮!
音沙汰なしで一ヶ月。やっと連絡があり駆け付けました。前回と違い笑顔のたえない石塚さん。これならまちがいなくいい仕上がりと分かります。
見せられた作品は、やはり想像以上の出来栄え。離れて見ると、薄い緑。近くに寄ると黄色や藍色が微妙にからんでいて、織りで彩りや表情を表現する石塚久雄ならではの世界が展開しています。
タテ糸は秋元さん得意の正藍染。ほとんど生成色に薄く染め上げる技術は他の追随を許しません。
ヨコ糸は石塚さんの希望に応じて二種類。太くなったり細くなったりしているスラブ糸を藍紺に染めたものと草木染料<蘇芳(すおう)>で染めた普通糸。この日本の糸をさらに一本ずつ縒って使用しています。
石塚さんが悩んでいた表情づくりはこの二本の糸とタテ糸の交織(種類の異なる糸で織る)でみごとに解決。特に横に走る紺糸のラインがアクセント。これまで縦に流れる縞や柄を見慣れた目にはとても新鮮に映ります。
綿の上下で藍染めによる仕立て――という伝統様式をきちんと守りながら、ここまで新鮮で味のある彩りや風合いを創り出してしまうのですからさすが名職人。
やはり、この武州の名コンビは格が違います。何だか誇らしい気分です。
優しい色合いに似合わずしっかりとした腰のある生地。
「なよなよとした生地は作務衣には合わない。だから一寸当たりの打ち込み数を横は44本にしておいたよ」と石塚さん。
触ってみると、なるほど。しっかりした腰のある感じが伝わってきます。皆様も、お付けした生地見本にてこの感触と微妙な色合い、さらには石塚さんの言うところの“表情”をぜひご確認下さい。
初心に戻っての作務衣作り。伝統を求めることにより得られた新しさを胸を張ってお届けできる喜びはまた格別です。

武州交織作務衣開発秘話(2)

満を持しての登場!おなじみ武州の名コンビ。
「そろそろ来るころかなと思ってたよ。また難しい問題を抱えてさ…」とニヤリ。
武州藍ひと筋に40年近く、そろそろ70歳を迎えようかというベテラン藍染師の秋元一二さんは相も変わらず飄々として余裕たっぷり。相方のイッサンはすでに試作に入ってるよ、と教えてくれました。
石塚久雄さん。独創的な作風で表彰、受賞は数知れず。創織作家として活躍中。
仕事場を訪れてみると、案の定30メートル単位の試作反物に埋もれて頭をひねっています。秋元さんと共に依頼の件を話すと、まぶしそうにこちらの目を見て「横のラインにアクセントかなぁ…」と意味不明な言葉をぼそり。石塚さん完全に入っています。
「藍と草木の交織でやってんだよ。ホラ、ここまで出来てるがね…」と試作を見せてくれました。いい色合いじゃないですか。というと、くるりと振り返り、ジロリと怖い顔。
「表情が無いんだよ。秋さんの藍糸は文句なし。問題は横に打ち込む草木の糸。何かひとつ決め手に欠けるんだ。もう少し考えさせてくれ…」
こうなったら任せるしかないよ――と秋元さんの目が語っています。

武州交織作務衣開発秘話(1)

初心に戻り、綿と藍。草木との交わりが生み出す風趣の彩りに、思わずため息ひとつ。伝統様式を踏まえた一着。そこに新しい何かを…。
「サマーウール、ジュンロン、コーデュロイ、スエード…伝統芸術を着る会の巻等新作は横文字が多いね」という声が寄せられます。それは批判というよりも、よく頑張ってるね――という内容なのですが、やはり少し気にかかるものです。
確かに、作務衣の開発を積極的に進めていけば必然的に、このような素材の導入は起こり得ることで、時代や機能に即応した作務衣づくりとしては、当会ならではの仕事と胸を張れます。しかも、これらの作務衣がすべて会員の皆様に好評なのですから…。
ただし、ひとつだけ肝に銘じておきたいことがあります。それは、新しい作務衣の開発に気をとられ、古き佳き装いとしての伝統様式の見直しをおろそかにしてはいけないということです。
初心忘れるべからず…。そういうことです。10年ひと昔、まさにその機至れり。
というわけで今回の巻頭新作は作務衣の伝統様式をしっかりと踏まえた一着にしたいと考えました。もちろん、ただ昔のまんまというわけではありません。そこに新しい何かを、そうプラスアルファを加えた作務衣づくりを目指しました。
そうなると、作り手はあの二人しかいません。