青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(2)

絹もいいけど、綿でやりたい。それもとびきりの素材で…。
タテ糸を正藍染の雨絣にて染め上げ、ヨコ糸を手紡ぎの糸と藍糸とを撚り合わせて織った紬織物――これが栄一翁をはじめ武州の豪農たちが好んで愛用した<青淵紬>である。
「絹でやるのかい?作務衣開発10周年記念なら、僕は綿でやりたいな。それも、とびきりの綿でね…」と石塚久雄さんからの提案。全員異論なし。10年もチームを組んでいるとこのへんのことはよく分かっている。
というわけで素材は<トルファン綿>を使うこととなった。
トルファンとは、中国新疆ウイグル地区シルクロード天山南路の東北部の地名である。この地で得られる綿糸は、毛足が非常に長く、シルクに近い艶があり、天然綿の宝石といわれている。その性質を利用して、超極細糸が紡がれる。しかし、生産量は極く微量。その意味からも、絹に勝るとも劣らぬ素材といえるだろう。
トルファンを染められる――と、藍染師秋元一二さんがワクワクしている。石塚さんの頭の中は、もう紬織りのことでいっぱい。創織作家としての好奇心がムクムクと頭をもたげてきている。渓水さんはカメに付きっきり。
ここまでくればもう大丈夫。余計な口出しはしない方がいい。今回の作務衣づくりのコンセプトは十分に伝わっているから、後は彼らの技の冴えを見せてもらうだけである。

青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(1)

「ワシは黒子でいい…」と、本誌への登場を頑なにこばみ続けてきた青木渓水さん。染めの秋元一二さん、織りの石塚久雄さんを率いてすべての作務衣づくりに参加してきた。いってみれば、武州職人の元締め的な存在である。
しかし、今回だけは黒子を決め込む訳にはいかないようだ。伝統芸術を着る会の10周年を記念した作務衣づくりであるばかりか、当人の伝統工芸士認定を記念する意味も込められているのだから…。
<青淵紬>の再現に武州の職人たちが燃えた!
「10周年記念だろう。武州の名にかけてもヘタはうてないぞ、なぁ…」
渓水さんが鬼になった。この気迫に秋元、石塚という武州が誇る名職人二人の顔にも緊張が漲っている。
「で、考えたんだが、ここ一番は栄一さんのアレしかないんじゃないか…と思うのさ」と渓水さん。「青淵か!」と秋元さん。「紬だな!」と石塚さんが素早く反応する。
武州が生んだ明治の偉人、渋沢栄一が好んで愛用していた<青淵紬>を再現、記念作務衣として仕上げようということである。すでに渋沢家の了解は取り付けてきたという。渓水さんがノッている。
代々、藍玉問屋として利根川流域の藍玉を商っていた渋沢家だけに、理解は深い。武州のため、藍染の発展のためなら――と快諾。栄一翁の雅号であった<青淵>を記念作務衣の名称として頂くこととなった。
「何だか大層なことになったなぁ」と秋元さん。「こいつは大仕事だ」と石塚さん。10周年記念、伝統工芸士、そして渋沢家の期待――さまざまなプレッシャーが、武州の職人魂に火を付けたようだ。
藍染液の調子を整える地味だけと大切な役目<藍建>は、渓水さんが自分でやるという。秋元にいい仕事させたいからね…と藍ガメのそばに座り込む。何だかいい雰囲気になってきた。

武州の職人集団「伝統工芸士」の認定

<伝統工芸士>の公的認定がおなじみ武州の職人チームに!
本人たちは望まなくとも、その実力は世に知れます。おなじみ武州の職人集団に「伝統工芸士」の認定が成されました。
代表して藍建師の青木渓水さんが受賞。95年1月、青木渓水氏の「伝統工芸士」の認定を記念した受賞パーティーが関係者多数の参列を得て盛大に行われました。
今さら…という感じもしますが、やはり公的認定は当会としても嬉しい限りです。

万葉百彩織作務衣 卯月(まんようひゃくさいさむえ うづき)

この色をして“卯月”とは言い得て妙。春爛漫は四月の色。
タテ糸は武州ならではの正藍染。そしてヨコ糸の緑は、安定度の高い化学染液をベースに、草木染めの味付け。
この先染めの糸を操り、手織感覚で巧みに織り上げていく。まさに、染師と織師の完成が成し遂げた色合い、風合いといえる。
名付けて万葉百彩織作務衣“卯月”。

春に挑んだ二人(5)

卯月とはいい名前だ。春のすべてが表れている。
「名前はどうつけるんだい?」と今度は秋元さん。早春でもなく、晩春でもなく、春真っ盛りの四月。春すべてを包括する意味で“卯月(うづき)”としたいと思うと恐る恐る答える。「卯月…ほう、ええねぇ」と石塚さん。鶯(うぐいす)などと言われたら反対するつもりだったという。
古来より植物染料として定評のある四種の染料を混入したことから万葉、織りで創った彩という意味で“百彩”織りと表現したいとの申し出にも了承をもらい、ここに――万葉百彩織作務衣「卯月」が誕生した。
この作務衣の良さ、わかってくれるよねぇ…
待つこと半年。すべてをゆだねた春の作務衣開発は、武州職人の飽くなき探究心と心意気により、想像以上の成果を上げたといえよう。
「あ、言い忘れたけど素材は上質の綿だからね。綿でなくちゃいけないんですよ」と石塚さん。
突然、石塚さんの提案で利根川に夕焼けを見に行く。落ちてゆく夕日を見ながら「分かってくれるよね」とつぶやく石塚さん。大丈夫、うちの会員のレベルは高いから…と答えたら、嬉しそうに笑った。
【交織織りについて:画像上】

  • タテ糸は武州正藍染。カメに着け引き上げる。空気酸化によりうす緑から藍に染め上がる。このタテ糸は三回染め。三回も染めていながら、この微妙な薄さは秋元さんの技術。カセ糸状で染めるため、また空気酸化のせいで計算できぬわずかな染めムラができ、これが織りの段階で味となる。
  • 基本の緑に藍の葉をはじめ、次のものを加える。
  • 深く微妙な自然の色を出すために、高級科学染料に、藍の葉・梔子(くちなし)の実・刈安(かりやす)・蘇芳(すおう)から抽出した染液を混ぜる。ムラなく、安定した染め上がりのために敢えて機械染めにする。こうして染め上がったのが、下のようなヨコ糸である。

【交織織りについて:画像下】

  • カセ状のままでは織り機にかけられないのでコーン状に巻き取り、整経機にかけ…
  • 400本以上のコーンからドラムに巻き上げるシーンは実に壮観である。
  • タテ糸とヨコ糸を織り機にセット。藍のタテ糸が流れる中に、計算されたヨコ糸が飛び込んで交わる。石塚さんの織り機は、ゆっくりとした手織り感覚。1日に30メートルしか織れないという。
  • 試し織りを重ねて完成した生地。濃い緑のヨコ糸が、藍のタテ糸と交わることにより、こんなに変化する。藍のタテ糸は。途中で消えたりかすれたり…。これが完成した春の作務衣「卯月」の生地である。

春に挑んだ二人(4)

1インチ単位で糸の交わりを考える交織技法だから…
思わず息を呑む。何と言えばいいのだろう…この色は。微妙で薄く明るい緑に、藍のタテ糸がひそやかに走っている。
「じゃ、これを見て」と石塚さんが四、五枚の布地を見せてくれる。ほとんど違いが分からない。
「いや、全然表情が違いますね。この違いに悩んだんです。タテ糸を流しながら、1インチ単位でヨコ糸の飛込みを考えるんです。1インチの中に何本ヨコ糸を入れるかで、表情がまるで変わってきます。ですから、試し織りは何度もやりましたよ」
「石塚さんの試し織りは30メートル単位だからスゴイよねえ…」と秋元さん。え?30メートル単位?
「2~3メートルじゃ分かりません。30メートルは織ってみなきゃ…」と平然たる石塚さん。
藍染のタテ糸がカスってるから計算できないものがあり、これもやむを得ないのだという。
「陶芸でも、カマの中で灰が思わぬ模様をつくるから、カマから出してみなければ作品の仕上がりが分からないというでしょう。あれと同じです。だから、何度も織ってみるんです」
やっと満足がいったという。これが石塚さんの考える春の彩だという。何も言うことはない――あとは、この彩をどう会員に伝えられるかが問題だ。
「生地見本はつけるんですか?」と石塚さんに聞かれた。30メートルとは比較にもならないほど小さいが、付けたいと思ってると答える。
「いや、小さくてもいいんです。彩には質感もありますから…。それに写真でこの色を表すのは、申し訳ないけど絶対無理ですから。是非添付してください」とのこと。石塚さん、相当の自信あり――と見た。

春に挑んだ二人(3)

納得がいかないから四種の植物染液を加えた
藍が基本となった薄線――これが二人が打ち出した結論。
「藍は日本人の心の色です。そして草木の芽吹きや自然の色どりはやはりみどり。これをどう組み合わせて彩にするかが大きなポイントとなりました」と石塚さん。身振り手振りもまじえ、表情がイキイキしてきた。
まず先染めの糸揃えから。ヨコ糸はムラのないきちんとした緑系のものが欲しいということで、敢えて機械染めにする。そして、タテ糸は遊びのある手染めの正藍というのが石塚さんから秋元さんへの注文。
「ヨコ糸に使う染料を見せたら首をかしげる。実際に染めてみると確かに単調過ぎる。そこで草木を混ぜてみようということになったわけだ」
藍の葉と梔子(くちなし)の実から抽出した染液を少々。そして、黄色味を出すために刈安(かりやす)を多目に、さらに赤みを加えるためにインド原産の蘇芳(すおう)を高級科学染料に少々混ぜたという。深みのある自然な感じのする濃緑のヨコ糸が出来上がった。
「タテ糸の藍染は秋さんの十八番。ほら、これがそうですよ」とタテ糸を見せてくれたが、どう見ても綿の生成色にしか見えない。かせ糸の奥の方が少し薄く藍がかってはいる。
「三回も染めたんだよ。それでいてこれさ。ま、これが藍染の技術ってもんかな」と秋元さんニヤリ。
「紺に近く濃く染めたら分からないけど、これだけ薄いと手染めならではのムラが分かるでしょ。これが面白いんです。機械染めの安定した緑色に、この遊び心のある藍が交わったら…ハイ、これが織り上がったものです」と完成した布地がいよいよ登場した。

春に挑んだ二人(2)

日本人の心にある春の色ってどんなものかな?
主役の二人が笑顔で迎えてくれた。一人はもうすっかりおなじみになってしまった藍染師の秋元さん。そして、もう一人が、今回織りを手がけてくれた石塚久雄さんだった。
石塚さんとは初対面だが、その名はよく耳にしていた。武州織物「石織」の三代目として家業を継ぐ一方で、創織作家として作品展や創作コンクールを総なめ。まさに日の出の勢いを持つ織り師であるとか。当会の、“条件無し、最高のものを…”という無理難題に、武州は最強のコンビで立ち向かってくれたのである。]
「面白い、やってやろう!と作家ごころが騒ぎ引き受けたんですが、いざスタートを切ってみると、正直なところ頭を抱え込んでしまいましたよ」と石塚さん。秋元さんもかたわらでうなずいている。
「春の色ってなんだ?と、秋さんと二人で考え込みましてね。やれ桜だ鶯だ、菜の花だなんて次元からわいわいやってる内に、何がなんだか分かんなくなって…ねえ、秋さん」
「ウン、そうだな。わしは染め屋だから“色”を考えるけど、石塚さんは“彩”を考えるんだ。あれこれ二ヶ月くらい迷っちまったかなァ」と秋元さんも同調する。
織物を求めて世界を歩き回っている石塚さんが求めたのは、日本人の心にある春の“彩”だったという。
「それは具体的なモノの色ではなく、心象的な彩だと思ったんです。そこで、秋さんには悪いがこれは織りで彩るしかないと決心しました」

春に挑んだ二人(1)

染めなくて“色”は無し、織りなくて“彩”は無し。武州が誇る染め師と織り師が四つに組んだ。
一切の条件は付けなかった。素材、色、織り…すべておまかせ。そのかわり、これぞ“春の作務衣”の決定版とも言えるものをお願いしたいと武州へ依頼したのである。
途中での試作も見ないという大胆な開発計画であった。見ると口が出したくなる。そうなれば独創性が消えてゆく…。それは、伝統芸術を着る会が進めてきた作務衣開発の過程の中で、春の新作への期待がいかに大きいかを物語っている。
待つこと半年。一本の電話が完成の報を告げた。降り立った武州の里は二月の初旬にも関わらず、ポカポカ陽気。何やら幸先の良さを予感させてくれる。