桐生の織物――歴史につちかわれた織物の里を訪ねて(1)

伝統と進取の気性が時を紡ぐ、桐生。
ところは関東平野の北部。国定忠治で有名な名峰赤城山を仰ぎ、渡良瀬川と桐生川の清流にはさまれた、風光明媚な織物の里、桐生を今回は訪ねてみました。
はるか昔のロマンスから生まれた桐生の織物
桐生と云えば織物産業が盛んで、世に名を馳せる桐生織物が有名ですが、その起源ははっきりとはしていません。一説では、遠く47代淳仁天皇の時代(一二〇〇年前)に遡ると云われ、こんな逸話が伝えられています。
その時代、桐生在郷の人である山田某が、天皇家に仕える白滝姫を恋慕い、これを歌に呼んだことが偶然天皇の目に留まり、やがて白滝姫は山田某に嫁ぐことを許されました。二人は手を取り合って桐生に帰り、やがて養蚕や機織りにあかるかった白滝姫の手ほどきにより、村人たちがこれを修得したのが桐生織物の始まりと云われています。
元中年間(一三八四~一三九二)には産物として他国へ移出するようになり、これが仁多山絹(にたやまきぬ)と呼ばれたものであったとされ、それ以前には新田義貞が生品の森に兵を挙げ、この絹で旗印をつくって鎌倉幕府を滅ぼしたという非常に運命的なドラマが起こっています。
慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が小山にいた軍を急に関ヶ原に返す時、急便を送って旗絹を求めたところ、わずか一日ほどで二千四百疋を集めたとも云われ、江戸時代末期には東洋で最初のマニファクチュア(工場制手工場)の生産形態を確立。
その後ますます、織物の里としての桐生の名は高まり、現在に至っていくのです。

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