匠、引退。有終の美を飾る。(3)

「段染」と「紋型織」の提案に興奮は高まる。
それからしばらくして入った一報に、スタッフはざわめきたちました。
「あのサ、今度の作務衣、段染めの糸を使って紋型織りで仕立ててみたんだけど」
“段染め”とは藍を用いてかせ糸を薄い部分と濃い部分に染め上げる手法。濃淡の出し具合が非常に難しく、仕上がりの織りを頭の中でしっかりと想定しなければできないという、まさに経験豊かな職人中の職人にこそ可能な染め。
しかも、その糸を、明治初期にヨーロッパより伝わり、平織、綾織、飛綾織の三つの織りの各々の良さがひとつの妙を生み出し。実に味わい深い表情を醸し出すといわれる”紋型織り”で仕立てるというのですから、スタッフの興奮も当然至極。
ところが、騒然とするスタッフに秋元さんは追い討ちをかけるようにこう言ったのです。
「それからサ、もう一着、正絹を藍で染めたモノを創ろうと思うんだ」。
絹に藍を用いる――初の試みが匠の手で実現。
しかも、「正絹を藍で染めるだけではつまらない。他の染液を加えて風情のある色を出したいんだ」とのこと。
その微妙な彩りを創るために、染めの第一段階で刈安を加え正絹を黄に染め、その上に藍を重ねて染め上げる独特の手法を採るそうで、名付けて”二藍(ふたあい)”。染め上がれば、青とも緑ともつかぬ、えも言われぬ独特の彩りになるとのこと。
秋元さんが採用しようという手法は、どれも初の試み。そしてついに完成した作務衣は、匠の集大成にふさわしい、貴重価値の高い逸品となりました。
それを今回、当カタログで紹介できることに、伝統芸術を提供し続ける私どもとして深い誇りを覚えると共に、偉大な金字塔を築いた秋元さんに惜しみない拍手を贈りたいと思います。

匠、引退。有終の美を飾る。(2)

作務衣の立役者から突然の引退話が…
その名匠とは、武州にその人ありと言われ、数々の伝説的名作を生んだ、あの秋元一二さん。引退して、これからは後進に未知を譲り、その育成に努めたいという、まさに寝耳に水の打診を受けたのが約半年前。
しかし、私どもの独創的な作務衣は秋元さんという匠がいたからこそできたもの。引退なんてとんでもない、と大慌てで仕事場へ駆けつけ説得したのですが、作務衣創り同様、その決意も頑固一徹。残念ながら、しぶしぶ引退話を受け入れるしかありませんでした。
これもまた、秋元さんの次なる実りへの人生の種蒔きなのだとは思いつつも、一抹の寂しさは拭えません。それほど巨匠の存在は大きなものだったのです。
“藍は愛なり”究極の逸品創り始まる。
しかし首をうなだれてばかりでは実りもなし。ここは一番、引退の花道を飾るにふさわしい、独創豊かな作務衣を創ってもらおうということに相成りました。
秋元さんといえば藍一筋。その匠の仕事ぶりは周知の通り。「藍を扱うにはサ、愛が必要なんだ。自然のモノってすごく手がかかるだろ。愛情がなければ納得の染めはできないんだヨ」。その哲学のなせる技か、秋元さんの藍の作務衣は女性ファンも実に多く、どれほどのたおやかなため息が流れたことか。
だからこそ、最後の仕事となれば、どれほど手間と代価がかかっても構わない。ここはひとつ、ファン待望の究極の藍の作務衣創りに挑戦していただきたいとの私どもの依頼に、「いいねぇ、久々に燃えるよ」と快諾の秋元さん。かくして、匠の技の劇的な創造が始まりました。

匠、引退。有終の美を飾る。(1)

季節のはざまに暮る、次なる実りへの思い。
ある地方の豪農に代々言い伝えられている訓戒をひとつ。
『夢のような収穫を謳歌するには、土づくりと種蒔きに、現実の汗の大半を注ぐべし』。
春夏秋冬、季節ごとの大いなる実りには、そのはざまにこそしかるべきものがあると諭した先人の言葉には実に深く身にしみいる含蓄があります。
四季のただなかに生の喜びを見つけるのは当然しごく。しかし、それと共に、移ろい行く季節のはざまには、四季という自然の恵みを得た私たち日本人だけが見つけ、味わうことのできる、風雅、活力、趣が脈々と流れ続けているのです。
 
人生もまたしかり。移ろいつつ事を成す。
その季節の移ろいに含まれた趣は、人の生き方にも相通じるもの。例えば、職人が創り出す作務衣が四季の華であるとするならば、その人の経験と休みない練磨、後進の指導や育成は、いわば種蒔きの時期。
そんな道を経てこそ、四季の作務衣という大輪を咲かせることができるのですから。
そして今回、移ろう季節の例えのごとく、ある名職人の引退を、会員の皆様にお知らせしなければならなくなりました。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(3)

寝せ込みから100日、すくもが巣立つ。
11月に入っても「切り返し」の作業が丁寧に続けられ、合計で22~23回位の時点までが、すくもの仕上がりの目処とされます。
そして12月。寝せ込みから数えて約100日で、ようやくすくもは仕上がります。
仕上がったすくもは、家号の印を押した「叺(かます)」に一俵あたり15貫(56.25キロ)を入れ、縄で縛り、全国の紺屋に向けて出荷されます。
こうして巣立ったすくもは、紺屋で可溶化され、阿波の藍染めとして職人だちの手により染め上げられ、多くの人々を魅了してゆくのです。
職人のすくもにかける愛情がいい藍を育む。自然と人がしっかりと見つめあう瞬間だ。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(2)

自然と人の技に育まれる、阿波藍の生涯。
3月上旬。藍の種蒔きは大安の日を選んで行われます。種の大きさは約2ミリ。この小さな粒に願いを込めて、蒔き終えた後は、お神酒を奉り一年の豊作を祈願します。
6月下旬から7月上旬。梅雨が明けてから藍葉を刈り取ります。はじめての刈り取りを「一番刈り」といい、昔は刃渡り18センチもの大型の鎌「藍刈り鎌」を用いて手作業で行われていたそうです。
9月上旬。大安の日を選んで、その年の「すくも」造りが始められます。まず、「寝床(ねとこ)」と呼ばれるすぐもの製造場所に一番刈りの葉を入れます。これがすくもの製造の第一歩で、「寝せ込み」と呼ばれるもの。
その後、5日毎に水を打ち、「切り返し」という混ぜ作業を13回ほど繰り返します。これは長年の経験を要するもので、ベテランの「水師(みずし)」と呼ばれる職人が担当します。
徳島の地に南方からツバメが帰ってくる時期に種を蒔く。
一ヶ月後、2センチ四方に2~3本が残るように間引く。
定植された苗は太陽の光と恵みを受け、すくすく育つ。
藍葉は「頭巾」と呼ばれる専用の保存袋に収められ、保管される。

歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(1)

「ジャパン・ブルー」として世界に知られる日本の藍。中でも希少価値で知られる阿波の藍の「すくも」作りを辿ってみると…。
阿波藍の起源は不明ですが、西暦の900年頃にはすでに藍の栽培を裏付ける記録が、ない内記寮に「阿波国の藍を以って最勝とする」とあります。これを見ても、藍が相当古くから人々の間で愛されていたことが分かります。
産業としての起こりは鎌倉時代で、藍が特産物として他国に大量に積み出された記録が残っているそうです。
最も栄えたのは江戸時代で、徳島藩の藍推奨策のもとに阿波の藍は全国を席巻し、藍大尽(あいだいじん)と呼ばれる富豪まで生み出すほどの人気を誇っていました。
その後、明治末期には科学染料の輸入と共に衰退しましたが、今日においては希少価値の高い伝統産業として注目を集めるのと同時に、天然藍に魅せられた人々によって、ファッション用品はもちろん、藍の特徴をモチーフにした様々な商品開発が行われています。
また、藍独特の方向は持続性があり、衣類などの虫除け、消臭作用などの薬用効果があると言われ、その特性が現代人の抗菌感覚にマッチしたのか、最近では若い人たちの間でも藍染のファッションが目立つようになりました。
阿波藍も一時期は絶滅寸前という危機に陥ったこともありましたが、時代との接点もあり、今では阿波藍と言えば高級藍染の代名詞ともなっています。

万葉百彩染羽織 青淵(まんようひゃくさいはおり せいえん)

他の作務衣には合わせて欲しくない…という想い。
この羽織だけは、「青淵」作務衣にのみ合わせて着て欲しい――青木渓水さんから、会員の皆様へのメッセージを託されました。
通常、さまざまな作務衣に合わせて、その雰囲気をお楽しみください、という具合に羽織をおすすめしている私どもも、今回の職人たちの想い入れの強さの前には一言もありません。
もちろん、この「青淵羽織」は作務衣と同じ素材、染め、織り。やはり10周年記念作品となっております。

万葉百彩染作務衣 青淵(まんようひゃくさいさむえ せいえん)

10年の歩みを物語り、さらにこれからの作務衣づくりを展望する記念の一着を作りたい――こんな大テーマに、武州の職人最強トリオが燃えた。
武州が生んだ明治の英傑、渋沢栄一が愛した<青淵紬>への挑戦。
素材は敢えて綿。繊維の宝石と言われるトルファン綿糸を藍に染め、タテ糸に使用。ヨコ糸は茶と緑の草木染による糸と藍糸を撚り合せた太糸にて紬織を再現。
その名にふさわしく、青き淵を想わせる深き藍の彩り。その風合いは絹に優るとも劣らず。
10年の成果を結集させたこの一着は会員諸氏への献上気分。

青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(4)

10年の歩みを象徴。そして、作務衣の先を見つめた一着。
「伝統工芸士などという妙な肩書きが付いたから、少し肩に力が入ったけど、この出来なら栄一さんも納得してくれると思うよ。あとは皆さんがこの作務衣の良さを、会員の方にどう伝えてくれるかだけだね。まかせたよ」
渓水さんから厳しいバトンを受け取ってしまった。
伝統様式をきちんと守って開発した「武州正藍染作務衣」一着を引っさげて、作務衣を世に問うてから10年。素材、彩り、技法などにその幅を広げながらも、当会の理念は変わることはない。
その証ともなる今回の10周年記念作務衣は、「青淵」の名を得てここに完成した。職人たちの冴えわたる技が表現したこの一着を、見識高き会員の皆様に委ねる次第である。

青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(3)

正藍染の草木染の茶と緑糸を撚り合わせて紬に…
気分が乗っていたのだろう、いつもなら2~3ヶ月はかかる試作期間がその半分で済んだ。完成試着会に望んだ職人たちの満足気な顔付きが、今回の記念作務衣の出来栄えを物語っている。深みというか奥行きのある藍である。微妙に緑色がからみ、まさにその名の如く青淵の彩りだ。
タテ糸は例のトルファン綿糸を正藍染にて先染め。武州ならではの絣が生きている。ヨコ糸は…。
「茶と緑の草木染の糸に、藍染の糸を撚り合せた太糸で紬に仕上げてみた」と石塚さんの口から自信満々の説明である。
青木渓水さんは含み笑いしながら口をはさまない。文句なし!という時に見せるこの人の表情である。
秋元さんは?知らぬ顔の半兵衛を決め込んでタバコをふかしている。
この三人の構図をして、武州では“完璧”という。