インドより渡来、江戸の中期に大流行した唐桟縞で仕立てた作務衣を二点、新作としてご紹介します。
素材はいずれも絹100%。直線的に流れる縞の美しさが、絹ならではの光沢に溶け込み、優美さと粋をいやが上にも引き立てます。
細い縞の「音羽」は、濃紺と茶に淡い藍を一組にしたタテ糸と、濃紺のヨコ糸を交わらせた微妙な色合い。紺を主にしていながら、鼠色に見せる奥深さが特徴です。落ち着きと品格の粋をイメージしています。
少し大柄に見える縞の方は「花川戸」。茶と生成の白をタテ糸に、金茶のヨコ糸を交わらせた明るい色合い。ちょっといなせに、遊びごころの粋を表現しています。
まさに、静と動。江戸っ子の粋を対称的にとらえてみました。
サラリとした肌触り、着用感も抜群です。お好みに合わせてお選び下さい。
絹に唐桟とくれば、やはり羽織を合わせたい。
さり気なく作務衣の上にはおるだけで、“音羽”なら、さらに格調が増すというもの。
“花川戸”だって渋さが加わり粋を高める。布、色、織りはすべて作務衣と共揃い。
羽織を着ると、なぜか口調まで変わるから不思議。
唐桟縞(とうざんじま)について(3)
この唐桟縞で作務衣を仕立てる――
唐桟縞に関するおおよそのことはお分かり頂けたかと思います。そこで本題に入らせていただきます。
私ども「伝統芸術を着る会」では常に“古き佳きもの”を掘りおこし、現代に新しい生命を灯す――というテーマを持って活動を展げています。そのアンテナが、この唐桟縞を確実にキャッチしたのです。
なにしろ、インドからやってきてその粋さと色感覚のモダンさで時の江戸っ子たちを陶酔させてしまい、一時代を築いた織物なのですから、これは見逃すわけにはいきません。
早速、唐桟作務衣の開発に着手したのですが、これが以外に大変なこと。
それは織りであると同時に縞模様でもある上に、後に国産品も多く登場したため実に縞や色の組み合わせの種類が多いのです。ですから、これが唐桟!と断じ切れない部分も生じてくるのです。
そこで、唐桟縞の中から典型的な二種類を対称的に選び出し、多少のオリジナリティを加えることにしました。
色も同様。藍と白のたて縞を青手と呼び、赤い縞を赤手と呼んだ唐桟縞の初期の大別に合わせて独自の色合いを組んでみることにしたのです。
テーマは「江戸の粋」。素材は光沢の似た絹を使うことに決定。
テーマは「江戸の粋」という点に置き、名称も青手系を「音羽」、赤手系を「花川戸」と決め、そのイメージに即した縞柄を求め試作を繰り返しました。
さらにもうひとつ、大きな決断が必要でした。それは素材です。
元々、唐桟縞は木綿が素材であったために江戸の庶民の間で流行したといういきさつがあります。しかし、それは当時、町人が自由に絹を着ることができなかったという事情があります。そして、この海を渡ってきた縞木綿が、まるで絹のような光沢を放っていたことが人気の秘密でもあったのです。
これらの点を考え、さらに江戸の粋を求めるなら…と、素材は絹を使うことに決定いたしました。
静と動で“粋”を表現、コントラストの強い二作品が完成しました。
このような過程を経て、「絹唐桟作務衣」を二点、今回の発表に間に合わせることができました。
前述のように、この二作品は敢えて中道を行かず、コントラストの強いものに仕上げています。江戸の粋を、静と動という形で表現してみたという次第。皆様のお好みはどちらか?正直にいって私どもにも想像がつきません。
いずれにしても、この「絹唐桟作務衣」は私どもの作務衣開発のプロセスで記念すべきものになることでしょう。
全体を縞模様で作務衣を仕立てたこと、それもインド生まれの唐桟なのですから画期的。
これは、私どもの作務衣づくりの過程が、様式や形式を守り復活するという段階から、新しくファッション感覚を表現していく段階へと歩を進めた第一歩といえましょう。
唐桟縞(とうざんじま)について(2)
粋な舶来品の上陸に、新しもの好きの江戸っ子が飛びついた。
この唐桟縞が初めて日本に渡ってきたのは、桃山時代と言われています。ですが、一般的には徳川家康の貿易奨励政策がすすめられて以降と考えてよいでしょう。
唐桟は冬の着物として職人、芸人、商人などの間で大変もてはやされていたようです。まず、木綿ですから町人が自由に着れること。さらに、細い糸で打ち込みが固く織られているため、麻状の外観と絹に似たつやと風合いを持っていたこと。しかも、舶来品とあって自慢できた――などの理由で大人気。
特に、気っぷのよい職人たちはすっかりこの唐桟のとりことなっていました。
粋な縞模様と、日本人にはない色感のモダンさは、まさに江戸好み。江戸時代半ば頃から末期にかけて大流行しました。
中でも、インドのベンガル地方から“紅唐桟”がもたらされた文化、文政、天保の頃は全盛時代。江戸の庶民は、男女を問わずこの唐桟の着物で“粋”を競い合っていたようです。
粋と気っぷで、唐桟縞の技術は今も生き続けている――。
つまり、江戸時代に今で言うファッションの大ブームを巻き起こしたというわけです。考えてみれば、今も昔も人の心はそう変わっていないようですね。新しもの好きで、舶来品に飛びついて…われわれもと“粋”や“艶”を競い合うのですから。
しかし、そんな江戸っ子たちの心をがっちりとつかみ、大流行を生み出したのですから、この唐桟縞も大したもの。その独特の光沢や風合い、粋さは当時の人にとって格別のインパクトがあったのでしょう。
もちろんこの頃になると国産品の唐桟(?)も続々と織られるようになりました。川越、青梅、あるいは博多、西陣など織物の産地がこぞってこの縞木綿を手がけるようになります。
こうなると品質の勝負。江戸の末期にはアメリカからの輸入物も入ってきましたが、品質の点で、“アメ唐”などと呼ばれ本格物と区別するほどになりました。輸入物の質をすぐに追い抜く日本人の技術――これも現代に通じる話です。
その後も、近世から今日まで、唐桟縞は脈々と生き続け織られており、特に趣味的な装いに珍重されています。
唐桟縞(とうざんじま)について(1)
オランダ船で長崎へ――粋でいなせな江戸っ子を陶酔させた
インド半島の西海岸、マルバラ地方にサントメ(英語名セントトーマス)という港町があります。江戸時代、このサントメで織られた織物がオランダ船にゆられ、マカオを経て長崎の港へやってきました。時代を考えればこれは大航海。
今回のお話は、はるばる海を越えてきたこの織物についてです。
まさに織物の黒船――インドから華麗なる縞模様がやってきた。
この織物のことを唐桟(とうざん)といいます。細番手の木綿地に細かい縞を織り出した布地のことで、その名の由来は生産地サントメ(ポルトガル語)から来ているようです。
最初は、そのまま漢字を当て“桟留”と呼んでいたようですが、その後に国内での生産が始まると、輸入品の区別をするため“唐桟”と呼ばれるようになったと言われています。
唐桟の唐は、その昔はるかに遠い外国を意味したものでしょうか。
唐人(外国人)が運んできたからとか、唐物屋(舶来品を売る店)で売られていたからとかさまざま。また、一部では、長崎のオランダ人居留地の名称からとって“奥島”などとも呼ばれていたようです。
つまり、外国からやってきた縞織物というわけです。
正絹作務衣 鉄紺(しょうけんさむえ てっこん)
絹の光沢がかもし出す気品に溢れた奥深い色合いは、まさに古彩。
正絹作務衣“絹古彩”シリーズの新作は、写真のように藍の色です。先に“茶”と“鼠”の彩りを開発しましたが、作務衣の基本色である“藍”系の彩りの人気は根強く、要望も殺到したために、今回の新作として開発いたしました。
ご覧のように、少し緑がかり、見る角度や光線の具合で微妙な変化を見せる色。その気品と奥深い色合いから「鉄紺」と名付けました。
絹の光沢と溶け合い、まさに古彩と呼ぶにふさわしい色合いで正絹作務衣の醍醐味が楽しめます。
正絹作務衣 鳩羽鼠(しょうけんさむえ はとばねずみ)
鳩の羽根を偲ばせる渋さと若さを備えた彩り
やっぱり渋さはすてがたい。それでいてこの“つや”は何だろう。
両手を広げて鳩の真似――この彩りは心を豊かにする。
わずかに紫がかった灰色。文字通り“鳩”の羽を偲ばせる色です。鼠色の中でも渋さと艶が微妙に交錯する実に感覚的な彩りと言えましょう。
抑えた感じの着こなしから、見る人をハッとさせる鮮やかさ――まさに正絹作務衣ならではの歓びです。
正絹作務衣 媚茶(しょうけんさむえ こびちゃ)
江戸時代後期に流行した優美で粋な彩り
ちょっと遊び心が欲しい。品を崩すことなく粋な感覚。
絹の輝きがちょっかいを出してきてこの彩りの変化はたまらない。
少し黄色味を帯びた暗い灰黄赤色。この色は、粋な色として江戸後期に大流行した彩りです。
正絹の優美さが、粋な彩りをさらに増してくれるこの「媚茶」は、品を崩すことなく遊び心感覚で作務衣を着こなしたい、という方にぴったりです。
絹古彩(2)
正絹作務衣にふさわしい二つの色
さて次に色です。
この絹素材にふさわしく、さらに作務衣の風情を損なわない色が問題でした。単に色を付ければいいというものではありません。文献を紐解き、古い色彩帖(色見本)まで引っ張り出しての色探しでした。
基本は、昔から藍と並び格の高い色とされてきた<茶>と<鼠>です。この二色をそれぞれに何色も試し染めした結果、二つの色の採用を決定しました。
ひとつは<媚茶(こびちゃ)>。
少し黄色味を帯びた暗い灰黄赤色。この色は粋な色として江戸後期に大変流行しいた彩りです。正絹の優美さが、粋な彩りをさらに増してくれるとの判断です。
もうひとつは<鳩羽鼠(はとばねずみ)>。
この色は、わずかに紫がかった灰色。分かりやすく言えば文字通り“鳩”の羽を偲ばせる色で、鼠色の中でも渋さと若さが微妙に交錯した感覚的ま彩りです。
いずれも絹古彩と名乗るにふさわしい色が決定したのです。
光の違いで生じる彩りの変化も魅力!
出来栄えには自信があります。次で完成した商品写真をご紹介していますが、困った事が一つありました。
それは、本誌に掲載するための写真撮影でした。戸外とスタジオ内では微妙に色が変化するのです。
これは、正絹という素材の持つプリズム効果、つまり光沢の変化のせいなのです。しかし、これは絹の魅力でもあるわけですから、逆にこの絹古彩の特色として敢えて提示しています。
どちらの彩りがお気に召すか。それはあなたの感性にお任せします。どうぞ、じっくりご覧下さい。
絹古彩(1)
絹の光沢に溶け込んだ彩り――見る角度や光によって、渋さと粋さが交錯します。
私ども『伝統芸術を着る会』には毎日のように、作務衣をご愛用の皆様からお便りが届きます。
あたたかい励ましの言葉からお叱りの言葉までさまざまです。また、とても参考になるご提案やご要望もかなりの数にのぼります。
これまでも、キルト作務衣や利休茶作務衣などの開発は、皆様の声が大きなヒントとなり完成いたしました。
そして今回、やはり皆様の強いご要望に応えるべく開発したのが、ここにご紹介する<絹古彩>シリーズなのです。
どんな色にも容易に染まる絹素材!
高級素材の作務衣に彩りを――このご要望は以前よりかなりの数にのぼっていました。当会としても、英断した正絹作務衣の開発と利休茶作務衣の復元の成功により、次に成すべきは何かを探っていましたので、タイミングはピッタリ。早速、開発の緒につきました。
素材は最高級の正絹。これはすぐに決まりました。
その理由は、絹という素材は、どんな染料にも容易に染まり、内部からの反射光が表面に透過して鮮明度の高い発色が得られるという性質を持っているからです。
つまり、微妙な色合いが出せるということです。
謹製 正絹作務衣(きんせい しょうけんさむえ)
優雅な光沢、しなやかな風合い。くつろぎ着として絹を着る。この快感がたまらない!
えっ、絹の作務衣?と、多少とも作務衣をご存知の方から驚きの声があがるかもしれません。確かに、作務衣の本来の姿から考えれば、おや?という感があるのも当然でしょう。
しかし、これもまた現代に新しい生命を灯した作務衣の姿でもあるのです。
作務衣の本物志向がたどり着いた究極の作務衣
古き良きものの心を残しながら、その質的向上を図ろうとする本物志向がたどりついた究極の作務衣――それが、この「謹製 正絹作務衣」です。
これまでも絹を使った作務衣は無かったわけではありません。しかし、それはごくひと握りの貴人や粋人、または富裕家の特別注文によって存在したに過ぎません。つまり、一種の道楽に近いものだったのです。
それだけに、このように絹の作務衣が一般向けに販売されるという例は、作務衣の長い歴史の中でも画期的なことなのです。しかも、それが大変な評判となっているというのですから、これも作務衣愛好者の本物志向をよく現しているといえましょう。
正絹100パーセント。機能や形は昔ながら…
この話題の「謹製 正絹作務衣」、文字通り絹100%の高級品。専門家の間では「正絹紬着尺」と呼ばれているもので、結城紬風に織り上げられています。染色は、非常に堅牢度の高い化学染料でしっかり染め上げられていて、いつまでも新鮮な風合いが損なわれません。
いまさら言うまでもないことですが、絹は布地の王者。それだけに、この作務衣の優雅な肌ざわり、光沢は格別。正絹でなくては味わえない醍醐味です。
社会的地位や年齢にふさわしい小さな贅沢!
この絹の作務衣の評判がすこぶる良いのです。
社会的地位や年齢があるレベルに達すると、家庭でくつろぐ時に、何を着ればよいのか?と迷うもの。まさかパジャマでもあるまい…ということなのです。
その点、作務衣ならその品格と機能性から文句なし。ましてや絹なら…というわけなのでしょう。さり気なく、まさにくつろぎ着として“絹”を着る――この歓びがわかる余裕(ゆとり)派におすすめの一着です。
独特の風格が…
絹の作務衣には、ぜひ羽織をご用意いただきたいと思います。羽織一枚で、くつろぎ着としての機能性に独特の風格がプラスされます。総裏付きで素材はすべて絹100%。
正絹作務衣にこの羽織の組み合わせ、もうこれはフォーマルフェア。お正月は、これで決めてみませんか。