藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情
その3・藍問屋と藍染屋
一方、農家が栽培した藍を買い集めるのが「藍問屋」といわれる製造問屋です。この藍問屋は、藍を買い集めるだけでなく、藍を発行させて藍玉をつくります。この藍玉をつくるには、高度なノウ・ハウが要ったのです。
つまり、藍問屋は、買い集めた藍に、発行技術というものすごい付加価値をつけて、藍染屋に藍玉を売っていたのです。
藍問屋というのは、貧乏な藍染屋にお金も貸していました。つまり、金融業も兼ねていたのです。
なぜ、藍染屋は貧乏か?それは、藍染というのは、非常に手間・ヒマかかるもので、染めるだけでも最低10回は染める。手間・ヒマかかる割りに、実入りは少ない。だから、貧乏な訳です。
ま、藍問屋を、今のお笑い界の雄・吉本興業に例えると、藍染屋はさしずめ芸を売るお笑いタレントといったところですか…。
で、ご多分にもれず私の祖先は、貧乏な藍染屋だった訳です。
それでも、やはりニーズがあったんでしょうね。明治の初めには、武州の藍染屋が七百軒もあったと言われています。今は、わずか四軒ですけど…。